教育標準化運動の失敗
教育改革者たちは、大学進学という最終目標に向かって、次の3つの戦略をとっている。
①標準化
学校教育はカリキュラム、授業、評価という3つの要素からなる。そのすべてをできるだけ標準化するのが基本戦略だ。教育標準化運動は学業を重んじるため、芸術、演劇、舞踏、音楽、デザイン、教育などの実践的な教科やコミュニケーション学、メディア研究などの楽な教科など、学問的でないとみなされる教科は重視していない。
学習指導では、グループアクティビティよりも、事実などの情報や技能の直接指導や一斉授業が好まれる。創造性、自己表現、発見や想像を働かした遊びによる言語や数式を使わない学習方法は、疑問視される。
評価については、生徒の解答が体系的に処理しやすいように、多肢選択式の設問を多用した正式な筆記試験を重視する。
②競争
試験の目的の1つに、生徒間、教員間、学校間の競争を強化することがある。競争は水準を引き上げると考えている。この新しい教育環境では、生徒は競い合い、教師は主に生徒の試験結果で評価される。
③民営化
競争の促進、学校制度の多様性の促進、国庫負担の低減、収益を目的として、民営企業や起業家に教育へ投資するよう呼びかけている。
教育標準化運動は、うまく進んでいない。リテラシーとニューメラシーといった教科での試験結果は改善していない。生徒の授業に取り組む姿勢が悪化し教師のやる気が削がれるという悲惨な結果を引き起こしている。さらに、この運動は所得格差を広げ、面白みのない標準化教育では貧困にあえぐ生徒たちに大した力も与えていない。
どの教科でも学力を向上させるために大事なのは、成績を上げたい、成績は上げられるという生徒自身の気持ちであることが研究でも実践でも証明されている。そのために一番良いのは、授業の質を向上させて、内容が充実していてバランスのとれたカリキュラムを組んで、生徒の役に立つ、有益な評価制度を確立することだ。規格への合致を教育に当てはめることの問題は、人々はそもそも標準化されていないということだ。
教育でこそパーソナライズ化が必要
教育の根本的な目的は生徒が学ぶのを助けることだ。それが教師の役割である。教育の本質は生徒と教師の関係性にある。この二者がいかに実りのある、良い関係性を築いてるかにかかっている。この関係がぎくしゃくしていれば、教育制度は立ちいかない。
人には誰でも幅広い生来の適性があり、それは一人一人異なる。パーソナライズ化というのは、こういった違いを生徒への教え方に組み込むことを意味する。また、全生徒が共通して学ばないといけない教科に加えて、生徒が自分の関心があることや得意なことを追求する機会を設けるために、カリキュラムに柔軟性を持たせることでもある。