「スジ」と「量」のメリット、デメリット
スジか量か。これは社会がそこに植え付ける一種の思考のクセとか条件反射のようなものであって、そこに「良い、悪い」の違いも、「正しい、間違っている」の差も存在しない。
問題は、自分自身の慣れ親しんだ判断基準をうまく運用できない相手を「出来が悪い」と思ってしまうことにある。相手のことを「出来が悪い」と思っていたのでは人間関係はうまくいかない。
●「スジ」で考える場合
・メリット
①行動が計画的になる
②仕事の「前始末」をするので、スムーズに進むことが多い
③行動後の問題の発生率が低い
・デメリット
①決断に時間がかかる
②前例にとらわれやすい、変化しにくい
③心配過多で、杞憂に終わることが多く、結果的にムダがでる
●「量」で考える場合
・メリット
①決断が速い
②現状の変化に対応し、臨機応変な行動をする
③うまくいっている間はムダな行動がない
・デメリット
①規範性が低い。人によって、状況によって言うことが変わる
②継続性に乏しい
③物事の本質を追求する姿勢が弱い
④同じ失敗を繰り返しやすい
中国の従業員は生産ラインにトラブルが発生した時の対応には目をみはるものがある。寄ってたかってなんとかしてしまう。だが、トラブルを発生させないための対策にはからっきし弱い。
こういう「スジか、量か」という基本的な判断基準の違いは、現実社会のあらゆるところに影響している。
お金で解決する
日本人は政府や企業の行為に対して憤る時、「こんなことはスジが通らない」と原則論に立って憤る。だから日本社会の抗議行動は「カネが欲しいんじゃない。スジを通せ」という主張になりやすい。
一方、中国の人々は多くの場合「自分が受けた損害」に対して憤る。例えば、近くの工場が汚水を不法に垂れ流した時、「社会的責任がある企業がそのような行いをするのはけしからん」というよりは、「環境汚染でマンションの価値が下がった。損害をどうしてくれる」と憤る。つまり「スジ」ではなく、金銭的損害という「量」で憤る。だから、中国の暴動や抗議活動は、大体おカネで収まる。
他人の言うことは正確ではない
中国の人々は「他人の言うことは正確ではない」ことを前提に人とコミュニケーションをしている。人の認識には幅がある。人によって解釈の余地にかなり大きなズレがあることが、会話をしながら既に計算に入っている。これが「スジ(=べき論)ではなく、量(=現実的影響)で判断する」という意味である。だから他者の発信する情報が不正確で、時に自分が不利益を被ることがあっても、それは最終的には自分が判断したことで、世の中そういうものであると粛々と受け入れる。