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2018/10/04更新

慶応卒の落語家が教える 「また会いたい」と思わせる気づかい

138分

2P

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気づかいは「目」から始まる

落語は、座ってしゃべることを選択し、発展してきた。使えるのは言葉と手振り、それと顔の表情のみ。この顔の表情とは「目」のこと。落語家の目の動きから、観客は刀の長さをイメージしたり、雨の具合を想像したり、信じられないほどの大金を思い描いたりする。名人クラスの落語になると、目の動きだけで笑いが漏れたりする。下半身の動きを制御することによって、聞き手のお客様には無限の想像が広がる。

このため、両者の間には絶妙な「間」があり、これこそ落語の「妙」である。お客様に想像して頂く落語家と、落語家を面白いと感じて笑うお客様、両者の気づかいの応酬によって成り立つ芸能なのである。

相手は人間である。杓子定規な処理は嫌悪される。その大元は、すべて相手の「目」から発せられる情報なのである。まず師匠や先輩方の目から「快か不快か」を判断し、臨機応変に対応する。これこそが、落語という芸への訓練につながる。

自分を殺すことで「目」を養う

気づかいの目を養うために重要な要素が、観察力、読解力、批判精神である。この3つを伸ばすためには「自分を殺すこと」が必要となる。落語家が前座時代に徹底・強制されることは「下から目線」である。自分より師匠や兄弟子を気づかい、常に気配りを要求されるのが前座である。

表現活動とは「自己主張を面白くさせたもの」である。ただの自己主張なら迷惑でしかないが、それが「面白い」と第三者から評価されると、ガラリと値打ちのあるものへと大変身する。それが芸術である。

芸術家とは「自分を訴える人」そのものである。ただ、その「訴え」や「訴えている人」に価値があるかどうかを決めるのは第三者なのである。

気づかいを積み上げる

気づかいとは、非常に細やかなるもの。見えない「気」を「つかう」ため、微細な言動が前提となるのは当然である。そんなミクロレベルの気づかいが連結していって、やがて大きな結果をもたらす。

そのためには、気づかいを足していくのではなく、かけていくことが必要である。単純に足していくだけでは、大きな結果にはつながらない。肝心なのは「今自分がやっていることは、きちんと上に積み上げる掛け算になっているか、単なる横に並べる足し算になっていないか」と、自己チェックすることである。

気づかいは、連続性の上に成立する。これは、コンスタントに積み上げて行かなければならないという、気づかいの特性を表している。つまり、これで完成というのはあり得ない。継続していけば、必ず結果をもたらす。