好みは学習する
接触は食べ物の嗜好における基本概念になっている。好みは学習するものなのだ。コーヒーやビールは初めから「好き」になる人はほとんどおらず、多くの人はだんだん好きになる。私たちは脳内の複雑に絡み合った一連の活動を通じて、「風味事象」(食べるもの全ての触覚、味覚、嗅覚が一体になった知覚のゲシュタルト)を学習する。「この食べ物で吐き気をもよおさなかったか」「この食べ物で活力を得られたか」ということを風味に関わる事象全体から好みを学習する。
但し、好きは好きのまま変わらなくても、好きな度合いは長続きしない。食べている間にも変わる。感覚特異性満腹が1つの理由だ。感覚特異性満腹という現象は、簡単にいうとある食べ物を充分に摂取すると体がシグナルを送ってそれを知らせるということだ。奇妙なことに、感覚特異性満腹を引き起こすのは味覚だけではない。
接触するほど好きになる
曲を好きになる最も基本的な要素は、以前に聴いたことがあるかどうかである。食べ物と同じで、接触が鍵を握る。耳にすれば耳にするほど好きになるのだ。多くの心理学者は、刺激(音楽や図形など)に繰り返し接触すると「知覚的流暢性」が高まり、その刺激をより容易に処理できるようになると主張している。処理が容易であれば心地良く、それが刺激そのものに対する感情に移し変えられる。
但し、接触には危険が潜んでいる。接触すればするほど、だんだん好きでなくなっていくこともある。嫌いだったものは特にそうなりやすい。有力な説は、音楽などの好き嫌いは「複雑度」を因子として逆U字型になるというものである。単純すぎるもの、逆に複雑すぎるものは好まれにくい。中間あたりが大半の人のスイートスポットだ。ところが気に入ったはずのその曲も、聴くたびに複雑でなくなっていく。だから拍子の単純なクセになるポップソングは、ヒットチャートを駆け上がっても、転落するのも早い。
知っているものが好きでなぜ悪いだろうか。処理するのが大変なものを音楽の広い荒野で探し回るのに比べれば、時間とエネルギーを節約できる。
好みは様々な無意識のバイアスによって変わる
私たちは自分が何を好きなのか、自分のしていることのどこが好きなのかをわかっていないことがよくある。好みには様々な無意識のバイアスが付きまとい、その時の状況や社会からの影響であっけなく揺れ動く。今日好きなものを明日も好きでいる可能性は思いがけないほど低く、以前に好きだったものを何が好きにさせたのかを憶えている可能性はさらに低い。
専門家の場合でさえ、本当に良いものを知ろうとしたり自分自身の感情を知ろうとしたりする時に、絶対的に正しい指針がある訳ではない。