新聞の活用
知識人として生きていくためには何をすればよいか。まず日頃からできることとして、日刊紙を読むことがある。たった今の世界がどのようになっているか、世界の見取り図を自らの頭の中に作る。新聞はいわば日々更新される世界図であり、刻々形成される現代史の地層の断面図だ。
世の中に向かう時に大事なのは「何が答えか」ではなく「何が問題か」という方だ。問題を与えられればすぐに答えを出す優等生が社会をダメにしてきた。詰め込みの勉強だけして型にはまった対応だけに終始する連中が硬直を引き起こす。AはAであると教えられた時に、そのままA=Aと覚える者に創造的な仕事はできない。本当にAなのか、Bではないのか、なぜAなのか、その論拠は信頼できるかなど、与えられた答えを一度は突き放す余裕が要る。
情報に大事なのは広がりと深さである。知りたいことの主題がわかっている時、インターネットはその先を提供してくれる。しかし、世の中に無数のことが日々発生している中で「何が問題か」を知るには、およそ無関係と思われる記事が雑然と並置されている紙の新聞の紙面が要る。インターネットには深さはあるが広さがない。インターネットでは1つ1つの記事の「ユニット」が小さ過ぎる。話が散漫になってしまって全体像が作れない。頭の中に世界図を作るためにはインターネットだけでは無理だ。
大事なのは、多くの話題を拾いながら、ことの脈絡は自分で作るということ。新聞などが提供するのはその素材に過ぎない。自分なりの世界図があって初めて、個々の記事や評論に価値が生じる。脈絡とははっきり言えば偏見である。世間で行われる論とは違っているが自分なりに納得した考え。偏見でない意見などありえない。ニュースに沿って偏見を修正し続けるのが現実を考えるということである。
本の探し方
「情報」「知識」「思想」の源泉の1つが本だ。第一に読むべき本をどのように手に入れるかが難しい。本のマーケットは玉石混淆と言いたいが、ほとんどは石ばかり。本を選ぶにも労働量が必要になる。
本を探す手段として、まず新聞広告や雑誌広告が役に立つ。本気で選ぶなら、各出版社が出しているPR誌がいい。さらに書評は本を選ぶアンテナとして役に立つ。年間に8万点出る新刊を、数百点まで圧縮してくれる。週に1回、新聞で5本の書評を読めば、それだけで年間250本になる。他に雑誌の書評もあるが、全てを丁寧に読む必要はない。ざっと読み始めて、この本は自分には無縁だと思えば、そこで読むのをやめて構わない。読むべき本を絞り込むガイダンスとしてこそ書評は存在する。書評の原理は「評」の字はついているものの「評価」ではない。評価は、取り上げるかどうかを決める時点で行うもので、ゆえに、取り上げると決めた時点で済んでいるのだ。