25年振りのセ・リーグ優勝を果たした広島カープ。これまで長い低迷を続けてきたチームがどのようにして復活したのか。なぜ今、ファンを増やしているのかを解説している一冊。
■資金に恵まれない地方球団
広島カープの発足は戦後すぐ。原爆によって壊滅的な被害を受けた広島の街から、自分たちの球団を作ろうという声が上がり、1950年にセ・リーグに参加した。最初から、親会社を持たない市民球団だった。他球団と比べると経済的に恵まれない時代が続き、1967年まで18年連続でBクラスに甘んじる。初優勝は1975年。チーム創設から26年目のことだった。この年から10年間の内、リーグ優勝4回、内日本一3回。カープ黄金時代が到来した。
その後、黄金期を支えた選手らの引退により、1991年のリーグ優勝を最後に栄冠から遠ざかる。1993年には、資金に恵まれない地方球団には不利なドラフト逆指名制度、FA制度が導入された。そこで、カープは他球団とはドラフトで競合しない原石のような選手を探し出して指名し、猛練習で育て上げる戦略を採らざるを得なくなった。元々、地方にあって資金が限られていたため、完成された選手よりも荒削りで素質のある選手を見つけ出し、厳しい練習で育て上げるのがチームの文化だった。
■カープ復活の2つの転換点
4半世紀もの間、優勝できなかったチームをファンはなぜ応援しているのか。強い世代を知らない若い女性は、どうしてファンになっているのか。そもそも、球団はセ・リーグで初優勝した1975年以来、41年にわたり黒字経営を続けている。その間、15年間連続で4位以下のBクラスに留まるという、長く暗いトンネルがあったにもかかわらずである。そして、懐具合が厳しいカープが、なぜ復活できたのか。
そこには2つの転換点があった。1つは、年間800〜1000種類を販売するオリジナルグッズ。もう1つは、2009年にオープンしたマツダスタジアムだ。財務面で苦労を続けてきたカープは、この新しい2つの財布を生かして十分に資金を得られるようになり、強くなってきたのである。
著者 片瀬 京子
1972年生まれ。ライター 1998年に大学院を修了し、出版社に入社。 雑誌編集部勤務の後、2009年からフリー。
著者 伊藤 暢人1966年生まれ。「日経トップリーダー」編集長 1990年日経BP社に入社し、「日経ビジネス」などを経て2013年より現職。
日経ビジネスアソシエ2017年3月号 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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まえがき | p.2 | 2分 | |
CHAPTER1 カープの経営はこう変わった ~テレビ重視からファン重視へ~ | p.11 | 30分 | |
CHAPTER2 ヒット連発! カープグッズのつくり方 | p.67 | 24分 | |
CHAPTER3 新球場の主役は選手でなくお客さん | p.111 | 14分 | |
CHAPTER4 選手がファンと育つチームに | p.137 | 22分 | |
CHAPTER5 チームを支えるスカウトの力 | p.177 | 18分 | |
あとがきにかえて~カープと日本のこれから | p.210 | 2分 |
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