デザインされたように見えるものは自然選択によってできた
あたかもデザインされたかのように見える物を「デザイノイド」物体と呼ぶ。「デザイノイド」物体は一見デザインされたように見えるが、全く異なるプロセスからそのような形になっている。「デザイノイド」物体は、別の理由で他の「デザイノイド」物体に似ていることがある。同じような仕事をしているから似てくる。これを「収斂進化」と呼ぶ。デザインされた物も、同じ仕事をする目的で作られた場合、形が似てくることがある。
外見上デザインされたように見える「デザイノイド」物体というものが存在するためには、特別なプロセスが必要である。そのプロセスの発見の1つ「自然選択」はダーウィンによってなされた。自然は常に、どの個体が生き残って繁殖していくかを選択していく。従って、何世代も続いた「自然選択」の結果は、ちょうど何世代も続いた「人為選択」の結果と同じようになる。
進化はとてもシンプルなところから始まる。進化の始点は、結晶のようにシンプルなもの。そしてこのシンプルさが積み重なっていって、複雑なものへと変わっていく。ここでシンプルは基礎からスタートする。このシンプルな基礎の上に、「デザイノイド」物体が「自然選択」によって作られていく。そしてこの「デザイノイド」物体が、人間の脳のように大きな脳を持って初めて、デザインするという行為が本当に現れてくる。
幸運の積み重ねによって進化する
とてもよくデザインされたかに見える動物や植物があった場合、自然の方はあたかも錠のように、生物の方はあたかも鍵のように働くと言える。進化論では、これらはゆっくりと一歩一歩進化してきたと言う。ならば、ぴったりと錠にはまる形に進化する過程で、中間の形を経ていたはず。しかし、錠に半分だけはまる鍵などというものが存在するだろうか。では、生物はどうやって、途中の段階を生き抜いてきたのか。
たった一度の幸運な博打によって突然出現する可能性が全くないものでも、幸運がわずかずつしたたり落ちて積み重なっていけば、出現する可能性が出てくる。この幸運をわずかずつ積み重ねていくというのは、限りなく重要なプロセスである。このプロセスによって、我々を含めた生物がこうして存在できる。
とてもよくデザインされた生き物が頂上にいる崖だけをみたら、それは奇跡の結果に違いないと誤解してしまう。しかし実際には「不可能な山」を登る方法はただ1つ、傾斜進化のゆっくりとした道のりを一歩一歩踏みしめていくより他にない。系統、動物群、種は、進化の永い時間軸の中で登るのである。途方もない数の世代を通じて登っていく。そして我々には、途方もない数の世代を投入する時間、つまり地質学的な永い時間をかけることが十分に可能である。