園芸用品やペット用品、半透明の収納ケース、家電、LED照明など、数々のヒット商品で成長してきたアイリスオーヤマの物語。戦後どのように会社が大きくなってきたのか、様々な経営体験が語られている一冊。
■父の他界で家業を継ぐ
高校3年の夏、父に癌が見つかる。長男の自分が工場を継ぎ、家族を養うしかない。見よう見まねで必死に仕事を覚えた。その年、父が他界。父から継いだプラスチック工場は下請け仕事が大半だった。原料は支給され、要望通りに部品を作って納める。1個数十円の加工賃だけが収入だった。
会社の強みは自分の若さしかないと営業は「すべてイエス」で臨むと決めた。納期、コスト、内容などで他社が断るような注文も積極的に引き受ける。朝8時から夜8時までの操業時間が終わり5人の工員が帰った後、朝まで1人で機械を動かし続けた。午前8時に工員達と交代し、朝ご飯を食べて営業へ。昼は仮眠し夕方に配達、夜は作業。そうしないと自分や家族の生活費がまかなえなかった。
当時はまだプラスチックの成形技術が確立しておらず、自ら生産設備に改良を加えたり、自分なりに設計して鉄工所に頼み形にしてもらった。こうした設備は競争力に優れた。発注は右肩上がりに増え、従業員も増えていった。
■家業を継ぐ
終戦の直前、1945年に両親の疎開先である大阪府南河内郡道明寺村で生まれた。家はその後、布施市の徳庵で貴重品の砂糖を原料に飴を作り始めた。5歳の時に同じ布施市内の長栄寺という地区に移転し、父は商品の売買で生計を立てた。後に創業の地となる。260坪の敷地に自宅、工場、アパートがひしめく。4部屋の家に家族13人暮らしで、生活は大変だった。ある時、裏のアパートに福井県からプラスチックの技術者が引っ越してきた。当時のプラスチックは今で言う新素材だ。金属やガラス、木に比べ、色々なものがきれいに安く作れるという。「これだ」と思った父は、庭にプラスチック工場を新設した。下請けとして水道栓の部品や学生鞄の握り手などを作り始めた。社名は「大山ブロー工業所」に決まった。中学生の時、日曜日には父を手伝い、自然に仕事を覚えた。
著者 大山 健太郎
1945年生まれ。アイリスグループ会長 アイリスオーヤマ 代表取締役社長 1964年大山ブロー工業代表者に就任。1991年アイリスオーヤマに社名変更。 仙台経済同友会 代表幹事、日本ニュービジネス協議会連合会 副会長、東北経済連合会 副会長、東北大学 総長顧問、復興庁復興推進委員会 委員を務める。 1990年第1回ニュービジネス大賞(主催:社団法人ニュービジネス協議会)、2004年中国大連市栄誉公民、2009年藍綬褒章、同年仙台市特別市政功労者賞。
ビジネスブックマラソン 土井 英司 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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第1部 私の履歴書 | p.1 | 1分 | |
第1章 震災から復興へ | p.3 | 9分 | |
第2章 プロダクトアウト経営が生まれるまで | p.25 | 12分 | |
第3章 メーカーベンダーの仕組み | p.55 | 10分 | |
第4章 ユーザーインのネットビジネス | p.79 | 14分 | |
第5章 地域貢献 ジャパンソリューション | p.113 | 7分 | |
第6章 社員にとって良い会社 | p.131 | 4分 | |
第2部 私の経営理念 | p.141 | 10分 | |
第3部 社員へのメッセージ | p.165 | 1分 | |
第1章 本質業務と全体最適 | p.167 | 6分 | |
第2章 仕組み改善と人材育成 | p.181 | 9分 | |
第3章 脳を活性化させ創造力を高めよう | p.203 | 6分 | |
第4章 変化対応とイノベーション | p.219 | 5分 |