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2016/03/30更新

天草エアラインの奇跡。赤字企業を5年連続の黒字にさせた変革力!

156分

2P

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就航3年目で倒産の危機

客単価を上げて利益率を高めるため、2004年に熊本〜松山線を就航させたが、赤字体質が続いた。そこで熊本県は2008年、元大手航空会社出身で九州の地域航空会社の役員を務めた人物を新たに社長として就任させた。しかし彼には社員との間にコミュニケーションを図って全社一丸となって再建に取り組もうという気持ちはなかった。あったのはトップダウン型のコストカットを軸にした会社経営。

新社長の下、1機しかない飛行機を最大限活用する事が必要だと、1日10便から14便体制がスタートする。しかし、過酷な業務を強いられる事になり、エンジントラブルによる欠航便が相次いでしまう。定時運航が当たり前でなければいけないのに、2008年には20便に1便が欠航する事態となった。天草エアラインでは、欠航の場合、乗客を陸路により移送する事となるが、福岡〜天草の場合これが4〜5時間となる。ビジネスパーソンは、欠航の危険が高い天草エアラインを避けるようになった。

人件費に加え、高騰する燃料費と整備費が経営を圧迫し、2007年には資金も底をつき、債務超過寸前の状況になっていた。ギリギリのところで行政が動き、整備費の補助が決まった。そして、新社長を迎える事になった。

新社長による再生

2009年に天草エアラインの社長に就任したのが、JALの整備部門出身の奥島透だった。奥島は、まず自分のポケットマネーで各部門ごとに飲み会を開き、社員の声に耳を傾けた。奥島は、自らが行動した。機内清掃、預かり手荷物の積み降ろし、保安検査場の検査まで、業務をサポートし現場の気持ちを理解する事で、社員のモチベーションをアップさせた。

さらに営業を強化し、システムの改修によるインターネット予約を開始した事で、搭乗率が向上した。便数を14便体制から10便に減らし、整備に余裕をつくる事で、就航率も向上し、時間通りに安全にお客様を運ぶという当たり前の事ができるようになった。

天草エアラインを観光資源に

奥島が社長に就任した頃の天草エアラインは全国的な知名度は低かった。就航以来、天草エアラインの乗客は、天草島民、天草に出張するビジネスパーソンや医師等が中心で、観光客の利用が伸び悩んでいた。そこで奥島は機体デザインの一新により、天草エアラインを1つの観光資源とするコンセプトを思い付いた。

2010年に天草出身の放送作家、小山薫堂が非常勤取締役に就任した。小山は機体デザインのコンペを行い、親子イルカのデザインを採用した。飛行機がマスコットになればいいと。そして、飛行機は全国的にも話題となり、天草エアラインは知名度を上げていった。