ルールがあるのは、信頼がないからである
生活におけるテクノロジーの重要性が増し、情報の流通が発達した現代においては、どんな個人も、社会や組織の集合体に多くを依存して生きなければならない。そこに必要とされるルールもまた、大きく変容する必要が生じている。新しいルールの大前提にあるべき概念は「信頼」である。ルールが内包する社会の規模が全世界へと拡大し、そこに生きている人の個性や常識が多様になればなるほど、他者を「信頼していない」事を前提にしたルール作りの限界が見えてくる。予測外の行動を無限に妄想してそれを制限するという終わりのない回廊を未来永劫にわたりさまよい続けるか。あるいは、全世界の隣人たちと互いに信頼し合い、それぞれが最大の能力を発揮できる仕組みを設計するのか。選ぶべきは明らかである。
100点満点を追求する事は、失敗の最たるもの
すべてのルールは、それを定めた時にはもう陳腐化が始まっている。だからこそ、ルールの不備を補うためにルールはその解釈を改め続ける必要があり、状況に応じてルールそのものを自由に変えていかなければならない。ルールを作る人間が、永久に変える必要のない100点満点のものを志向する事は危険である。完璧なルールは完成するまでに膨大な時間がかかり、運用にも余計なコストがかかり、ルールの内側にいる人間には過剰な束縛を強いて自由を許さないからである。
より重要なのは、今は目に見えないセカンダリーエフェクトである
新しい技術や発想は、孤島に突然変異的に生まれるものではない。数多の成功と失敗を手本にして、改善を繰り返した努力の循環の先に、必然的に創造されるものである。物事の負の面にばかり目を向けて、批判する事は簡単である。しかし、危険ならばどうすれば危険ではなくなるのかというルールを話し合うべきである。「斬新すぎる」「実現は無理だよ」「前例がないから」そう感じさせられた、未成熟で幼稚に見える発想こそが、重要なイノベーションの種なのかもしれない。
マイクロの失敗を歓迎し、マクロの失敗を駆逐せよ
出世する日本人の共通項に「失敗しない人」というものがある。年功序列型の縦割り社会では、人事の評価制度は主に減点制。良くも悪くも目立たずに、与えられた役割をソツなくこなしていく事で年次に応じた昇進昇級が与えられるという現状は変わっていない。しかし、個が失敗しないからこそ、組織は自己批判の機能と機会を失う。全体が失敗している事に気づきもしないまま、失敗かどうかを判断する人もいないまま、単独で失敗のない個をそれぞれ磨き直す事でしか、対策できない。
マクロで失敗しない組織をつくるために重要になってくるのは、マイクロでの失敗回数を増やす事である。不確定要素の多い世界市場で成功するためには、誰よりも早く失敗を繰り返すしかない。