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2016/01/25更新

東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか

250分

2P

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生物はなぜ光るのか 〜下村脩の研究人生〜

下村先生はノーベル賞の受賞記念会見で「GFPの発見は天の導きによるものであり、天は私を使って人類にGFPを与えたのではないかと思う事があります」と仰った。そして、著書では「私の研究人生を顧みると、私が選んだ道は自分で探したのではない。私は師により示された道を辿っただけである」と仰っている。

下村先生の父は職業軍人だった。将来の夢は船や飛行機の設計技師。エンジニア志望だった。高校時代、戦争が激化し、大阪から長崎県諫早市に転居した。その翌年、長崎に原爆が投下された。長崎市内では様々な施設や学校が破壊されたが、この時、長崎医科大学附属薬学専門部が諫早に移転してきて、下村先生はそこに入学した。たまたま近くに学校がやって来たから入学したというものだった。

下村先生は、大学時代には恩師である安永峻五先生に薬品をもらって1人で実験をしていた。その熱心な姿を見て、卒業後に実験助手にしてもらった。この時期にウミホタルの発光成分の合成実験をしている。とはいえ、本もない、実験器具も充分にない環境だったので、内地留学を勧められ、名古屋大学の天然物化学の研究者である平田義正先生に師事する事になる。

研究室に行った初日に平田先生から乾燥ウミホタルを見せられる。その光はルシフェリンという化合物と、ルシフェラーゼという酵素の反応で発光しているという事は当時わかっていた。平田先生は「アメリカのプリンストン大学が20年くらいルシフェリンを精製する研究をやっているが未だに成功していない。ルシフェリンの構造を決定するために、ルシフェリンを精製して結晶にして下さい」と仰った。

1956年2月、下村先生は偶然にもルシフェリンの結晶化に成功する。この時の研究成果をまとめた論文が生物発光の権威であったプリンストン大学のフランク・ジョンソン教授に読まれて、研究を誘われ渡米した。フランク・ジョンソンは下村先生に「オワンクラゲの発光物質を抽出して欲しい」と頼んだ。こうして2人の研究生活が始まった。

ルシフェリンの発光に必要なルシフェラーゼは、酸性のPH4で発光が止まって、中性のPH7で再び光り出す事を発見する。つまりクラゲの発光物質は中性のPH7であれば取り出せる。さらに偶然から、海水に多く含まれるカルシウムイオンの濃度が発光を調節する事を発見する。そして、最終的に85万匹ものオワンクラゲを採集し、発光物質イクオリンの精製に成功する。同じ年、イクオリンと双子のようにひっついている緑色の物質を単離して、その正体がタンパク質である事を突き止めた。これがGFPである。

基礎研究から応用へと広く利用されるようになったGFPだが、下村先生は「人の役に立つ事なんか考えていませんでしたよ。完全に、真理の探求です」と仰っている。