「よくまとまっている」のワナ
型に流し込んだ事によって、豊かな形容しがたい面白さ、可能性をも殺してしまう事を恐れなくてはならない。「非定型」なエネルギーを「定型」化させてしまっては元も子もない。
よくまとまった企画書は、それができあがっただけで、当事者を安心させてしまう魔力に満ちている。そこが時にワナになる。形式が自己目的化し、データが独り歩きを始めると、創造のエネルギーは失われる。小さくまとまる事は「創造力」と「想像力」の可能性を貶めてしまう事につながる。そうした意味で「よくまとまった」企画書こそ注意が必要である。なぜなら、誰もが納得するような「わかりやすい」結果が見え、多くの人々が「リスクがない」と安心してしまうからである。
「現状分析」がすべての基本
新企画、新コンセプトが求められる時でも、まずは多くの人々が感じているであろう主題から書き始める。「新しい」事が求められている場合なのに、既に人々が馴染んでいるかもしれない「古い」要素から語り始める。
「新しさ」は表現できない。表現できないから「新しい」のである。まずは「現状分析」を中心に置く。いわば「最大公約数」から入る。この「現状分析」が深くしっかりできる事は、後の「演出」「番組構成」とダイレクトにつながっている。問題意識をしっかり醸成する場として、企画書を作成するプロセスが生きていくればよい。「なぜこの題材に着目するのか」「なぜこの視点から現状を捉え、問題と考えるのか」、それをしっかり見極めていけば、それはその後の制作過程に向けての大きな核となる。
この原点の問題意識がブレる事なく深く根を下ろし、その後、様々な手順を試みる柔軟性を失わず進む事ができれば、必ず形が見えてくる。
無意識を活用する
企画を出す、表現して何らかの形にする、こうした無から有を生むように思われるプロセスは、実は内に潜んでいる経験の数々、発想の断片、記憶の欠片を外にひっぱり出す、ある種のデトックスのような要素がある。
広大な無意識の中に眠り沈んでいる様々な断片を、点と点をつなげて、1つの物語のような流れを見出す事で、意識の上にのせていく。無意識の領域から、豊かな素材をひっぱり出すには、細部をスタートから順々に考えていくというやり方を取らず、全体の流れをまず把握する事である。
アナログとデジタル、全体と細部、その関係性を体に覚え込ませる。そのため、眠る前、全体の図、概要をインプットしておく。すると、翌朝、整理された感覚で課題の部分が明晰になっている事がある。