お金はあくまで道具である
私たちはお金に困らない生活を与えられてきたからこそ、お金に無知になってしまった。戦後世代は、物価の急激な変動やお金がなくて餓死するような危機も経験する事がなかった。水や空気と同じように、ごく自然に生まれた時から、お金は身の回りに溢れていた。だからこそ、現在の世界におけるお金の仕組みやルールに対して、疑問を持つ事も必死に理解する必要もなかった。現代の資本主義の価値観とそのルールを西欧からそっくり輸入してしまった私たちには、お金というものが、どこかの誰かが自分たちの都合の良いように作ったもの、人間によって作られたものだという感覚が欠落している。
一方で,あくまでもお金は道具であること、そして、その取り扱い方やルールも自分たちが「つくりなおせること」を知っている人がいる。この差が、長期的な国家や民族レベルでの経済的豊かさの差になっていく。お金とは、国語や算数、英語と同じくらい「学ぶべき」ものである。
お金とは何か?
お金とは、人間が作った道具であり仕組みである。そのルールも時代に応じて変わってきた。お金とは何か?
①お金はただの紙切れである
②お金とは、物々交換における「媒介物」だった
③お金は、人と人との間に存在する信頼の媒介物である
その紙切れそのものに1万円札としての価値があると信頼していなければならない。それは発行体である日本銀行や背後にある日本の政府自体への信頼であり、このお札をつくった人への信頼である。次に私たち自身がこの1万円札が「1万円分の何か」と交換する価値がある事を信頼していなければならない。最後に、1万円札を受け取る相手が、差し出した紙切れを「1万円分の価値がある」と信じなければならない。これら3つの信頼がある事で初めて、紙切れはお金としての役割を果たす事ができる。
つまり、互いが信頼し合う事で初めて価値が成立する。確かなモノに裏付けされず、人と人との間にある信頼によってしか、価値を認める事ができなくなったお金。このようにお金が、価値ある実物との交換を約束されない不換紙幣となった現代においては、お金を稼ぐ事もお金を使う事も、本質的には「信頼の取引」となった。
この意味を理解している人としていない人とでは、結果として手にするお金の量も過ごせる幸せな時間の長さも大きく変わってくる。現在のお金の世界は、そのような仕組みとなっている。
個人の信用度によって、その人の使えるお金の量が決まり、信用がなければ、お金を使う事すらできない。そうした「新しいお金の世界」が到来しはじめている。