八百屋の倉庫からの出発
モスを始める際、創業者が友人知人などからかき集めた自己資金が800万円で、その内600万円は商品開発のためのアメリカへの渡航費などに使ったため、残りは200万円。お金をかけられないという台所事情もあり、倉庫を改築して180万円かけて店にした。2.8坪の屋台みたいな店舗だった。
流し台や冷蔵庫などの厨房用品は、浅草の合羽橋で中古品を買い集め、看板も「MOS BURGER」という文字を切り抜いて屋根に張り付けたという、ハリボテみたいな店だった。「MOS」とはMountain、Ocean、Sunの頭文字で「山のように気高く堂々と、海のように深く広い心で、太陽のように燃え尽きる事のない情熱をもって」という理想がこめられている。
とはいうものの、現実の第1店舗は、テーブル席はない立ち食いの店。クーラーもないので、夏の店内は40度くらいあった。
清掃で地域に根付く
モスの企業目標である「食を通じて人を幸せにすること」は、「地域に根付き、地域社会に貢献する」事で具体的に実現できる。その実践的な行動が、開店準備の際にやっていた、近隣の清掃活動だった。この清掃は「朝課」といって、モスの1つの文化となっている。モスは、フランチャイズチェーンを社会的なインフラと捉えている。だから、その地域、地域に安心感をもたらす存在である事を目指している。
地域密着型の強み
1号店が開店してから6年が経っていた1978年、成増店の目と鼻の先に業界最大手のマクドナルドが進出してきた。当時の知名度の高さからいえば、ハンバーガー=マクドナルド=世界のブランドである。手漕ぎボートの前に外国船が現れた感じだった。
マクドナルドが開店した金曜日のモスの売上は23万7000円で、平日の新記録だった。その翌日の土曜日が37万6000円で、日曜日は約50万円。成増店くらいの規模の小さい店でその売上というのはありえない事だった。その月の売上は847万円で、マクドナルドを上回っていた。
日本人は「判官びいき」なところがあるので、「地元で自分たちが応援してきたモスバーガーが、マクドナルドのせいでなくなるのは困る」という事で、1週間に2回来ていたお客様が3回も4回も来て下さったのだった。この事で、地域密着型というモスのやり方が正しかった事が再認識できた。成増で地域と共に歩み続けて来た姿勢が、お客様に支持された。商品や接客も大切だが、お客様と近い関係をいかに築けるかがモスの原点なのである。
「この店は自分達が育てた店」というお客様のファミリー意識が大切である。地元を意識した普段の活動の積み重ねが大事である。