コンテンツを客寄せの道具にしない
キンドルが米国でやったのは、目玉商品として、売れ筋のペーパーバックを書店よりも安く売った。それをされるのが嫌で、出版社は卸値を高くした。そうしたら、アマゾンは卸値よりも安く販売した。逆ざやを取った。
コンテンツビジネスをしていないプラットフォームというのは、とにかくコンテンツの値段を下げようすること。ユーザーが集まってプラットフォームが拡大すれば、後で帳尻を合わせられるから。プラットフォームの拡大時期においては、コンテンツなんかスーパーの特売の卵みたいなもので、客寄せのツールである。
どうして値段を下げさせようとするかというと、プラットフォーム側はコンテンツの値段を下げても、懐が痛まないからである。電話料金やパケット代を下げるのではなく、コンテンツの値段を下げた方が、自分の懐を痛ませずに値下げ競争ができて、客寄せができる。コンテンツをつくらない企業がやっているプラットフォームでは、コンテンツは単なるプロモーション材料に堕落する。でも、任天堂のような自分でコンテンツをつくっているプラットフォームは、コンテンツの値段を下げない。むしろ、ゲーム機本体を安く売って、ソフトの売上で回収しようとする。だから、任天堂のゲームのソフトは値崩れが起きなかった。最終的にコピーなどが可能だったPCゲームではなく、ゲーム機ビジネスで任天堂が勝った理由は、コンテンツの値段が下がらなかったからである。
「しょうがないな」と思われるポジションをつくる
ニコニコ動画は、たまにとんでもなく悪いUIをつくる。UIの変更は必ずユーザーの反発を呼ぶ。先にひどいUIにしておけば、機能ができた時に改善する事になって、受け入れやすくなる。ニコニコ動画では「ひどいUIを先につくる」事を意図的にやる。
日本は自粛する社会である。クレーマーが文句をつけてくると、戦うより先に「申し訳ありません」と要望を受け入れて、どんどん自粛する範囲を広くしていく。しかし、クレームに逐一対応すると、次回も対応せざるを得なくなる。ネットサービスを運営する上で、自由度を確保するのはとても重要な事である。「この会社だったら、しょうがないな」と思われるポジションをつくること。
売れると自由度が減る
今、好きなアニメをつくれるのはスタジオジブリぐらい。ジブリには独自のブランドがあって、ジブリが相手にしているマーケットには、競争相手がいないからである。もし、ジブリみたいな会社が100社あったら、その中で競争し合うので、みんなが「表面上」見たいと思っている作品しかつくれない。例えば『天空の城ラピュタ2』とか。
ジブリみたいな会社は1社しかなくて、ジブリがつくったものが見たいというお客さんがたくさんいるから、作品に多様性が生まれる。