自分の音をいかに出すか
楽譜は建築で言えば設計図のようなものだ。優れた作曲家は、具体的な建物がどんな天候の中で、どんな場所に建ち、どういう人達が、何を目的にその建物を使うのか。そういうところまで考えて、楽譜という設計図に自分の音のイメージを表現している。指揮者はその設計図を見て、作曲家の作り上げた建築物を想像し、それを建てるためにどういう職人(演奏者)と、どういう材料(音)が必要で、どの職人と職人がどういうふうに力を合わせれば、優れた建築物が建てられるかを考える。
譜面をより深く理解するためには、曲が生まれた時代背景を研究し、作曲家が過ごした場所に身を置いて、気候や風土を肌で感じる事も試みる。光、温度、湿度、匂い、それらが生み出す静けさ。曲が生まれた土地の気候や風土は、すべて音に深くつながってくる。感覚を鋭敏にして作曲家と同じ場に身を置く事は、そのつながりを体感する事になる。
指揮者に求められるのは誰かの物まねではない。ただ音が鳴っているだけではなく、その音がどれだけ自分の音になっているか。どれだけ自分の体の一部になっているかが問われる。そのためには、譜面を深く読み込む知識と感性と経験が必要だ。
音楽家の目的は、いい音楽をつくること
譜面を勉強して作曲の意図を読み取るには膨大な時間がかかる。自分が譜面から汲み取った曲のイメージを、今度はどうオーケストラのメンバーや合唱団員に伝えるか。優れた音楽は、まず優れた音楽家達による演奏として立ち現れる。演奏者達を納得させる変化を起こせるかどうか。指揮者が指示した事を、演奏者達に自らの意志でどうやりたいと思わせるか。mustからwantにどう変えるか。それには、瞬間瞬間に状況を判断し、様々な切り口から臨機応変に対応する姿勢が求められる。
音楽家の目的と幸せは、いい音楽をつくる事だ。自分の思いを伝えるために音楽をする訳ではない。楽譜がそう語っているならば、楽譜がそれを求めているのならば、オーケストラに何でも言えるし、何度でも同じ事を要求する。楽譜がまずある。それが指揮者と演奏者を近づける。だから楽譜は指揮者とオーケストラの共通言語なのだ。
指揮者にとって大切なこと
最も指揮者にとって大切なのは「自分の音」を実際にどう鳴らすかだ。音楽は空気を振動させて鳴る音でしかない。自分が作品に一歩踏み込み、作品が自分に近づいてきた時、ある情景、イメージが立ち上げる。それをオーケストラに伝える時、言葉にして伝える事がとても大切になる。
ここで大事なのはオーケストラの想像力だ。もしもオーケストラに想像力がなく、それぞれが演奏に消極的にしか参加しなければ、決していい音は鳴らない。だからこそ指揮者はオーケストラの想像力を呼び起こすように、イメージを言葉で表現して伝える必要がある。