出版文化のない地方都市で出版社は成立するのか。自由が丘の出版社「ミシマ社」が行った、出版不毛の地で出版社を立ち上げるという実験的プロジェクトの記録。
■普通の街で出版社は成立するのか
2011年4月、ミシマ社は京都府城陽市にもオフィスを開いた。東日本大震災の直後からどこか仕事に集中できる場所がないかと考えていた。そして、たまたま知り合いが空き家を持っているのを知った。訊けば使っていいという。訪れた事もない土地。出版文化はほぼ皆無。出版不毛の地で出版社を営む。
城陽は「生活者代表」の町であり、出版メディアと縁遠かった場所でもある。つまりは、新しい出版に最適な土地。なぜなら、未来の出版に必要なものは、「これまでになかった新鮮な空気」である事は明らかなのだから。
都市の郊外に位置する町で、大きなビルがなく、空が近い。近郊には大型スーパーが点在し、商店街が消えた。主に農地だったとおぼしきところに、新興の住宅地ができている。時々、夕陽が息を飲むほど美しい。城陽はそういう町である。そして、そういう町は日本中に無数にある。つまり、城陽で出版社が成り立てば、全国どこでもできるという証になる。
編集とは「何もしない」を全身全霊こめてするという事だ。但し、その「何もしない」を全身全霊こめてするという編集感覚は、最も厳しい最前線に立たないと磨かれる事はない。「おもしろい」と「届ける」という事を、全力で追求してこそ、文字通りの道は開かれる。そして拓かれた道があるからこそ、歩む事ができる。
アントニオ・ガウディの言葉に「人は創造するのではない。発見するのだ。」という事がある。発見するという事は、既に創造されていなければ発見のしようもない。いうまでもなく、既に創造されているものとは、自然の事だ。自然が生んだものを発見し、今の命を吹き込む。
出版を道ととらえた時、「既に敷かれた道」と「先への道」をつなぐ事がその役目であると気付いた。その気づきこそが発見だった。城陽でしようとしていた事は、発見ではなかった。あれは創造をしようとしていたのだ。
メディアとは、原義通り、媒介である。媒介とは、既にあるものを発見し、しかるべきところへ届ける。その動きを片時も止める事なく、流れ続ける事をおいて他にない。決して「発信」する者ではないのだ。道と道とをつなぐ。結ぶ。これが出版の道というものだろう。
著者 三島邦弘
1975年生まれ。株式会社ミシマ社 代表取締役社長 出版社2社で、単行本の編集を経験したのち、2006年10月、単身、株式会社ミシマ社を設立。現在は7名のメンバーとともに、「原点回帰」を標榜した出版活動をおこなっている。直取引、手書きの「ミシマ社通信」といった独自の営業スタイルも注目されている。
帯 映画監督 是枝 裕和 |
週刊 東洋経済 2014年 10/25号「鉄道異変あり! /リクルート上場」 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はじめに | p.1 | 1分 | |
プロローグ | p.10 | 1分 | |
Ⅰ | p.13 | 31分 | |
Ⅱ | p.67 | 29分 | |
Ⅲ | p.118 | 27分 | |
Ⅳ | p.165 | 36分 | |
Ⅴ | p.228 | 18分 | |
エピローグ | p.260 | 2分 |