原価0円生活
エコストーブは極めて燃費効率の良いロケットストーブ(ドラム缶やU字溝、ステンレスの大きな煙突などを活用してつくるエコなストーブ)を持ち歩けるものに改造した優れものである。
火の管理の手間も少なく、扇風機で送風したようによく燃える。木は燃焼温度が高ければ、完全燃焼して煙を出さない。このエコストーブに鉄製の歯釜を載せれば、20分ほどでご飯が炊きあがる。燃料は裏山から切り出してきた、乾燥した30センチ程度の薪4本でよく、2〜6合まで焚く事が可能である。
昔は家でつくった野菜や山菜等、「旬のものを旬に食べる暮らし」をしており、大型冷蔵庫は不要だった。里山や地方の海辺の町なら大型冷蔵庫なしでも、地元の港に揚がる近海の魚介類を食べられる。
山菜は、自分で採りに行けば、「原価0円」である。しかし、採りに行く手間やそれを料理にする手間を考えるとかなり高価な食材になる。でも、それらを手間と考えず、「山菜採りを楽しむ」と思えばいい。
飼育しなくても手に入る高級肉は猪や鹿。養殖しなくても手に入る珍味の食材はブラックバスやブルーギル。山菜は草さえ刈ればあり余るほど手に入る健康食材といえる。
昔は、畑仕事は鍬1本の世界で大変な労働だった。しかし、今は手軽な耕耘機があり、耕しはもちろん、草刈りの大半も機械でできる。
山菜採りや魚獲り、そして猪等を獲る里山の食材集めは、「金儲け」というよりは、それを生業にしている人以外にとっては遊びである。里山では燃料も食料・水も山からとってくる。燃料と食糧・水の自給が可能なら何があっても安心ではないか。「都市の幸福論」で計れば里山は極めて不便で安心できないところとなるが、「里の幸福論」で計ると里山は最高の場所である。
持続可能なシステム
・水と油
・火と電気
・食べ物と金
どちらが大切か。災害の時など、私達が頼りにしているものは、役に立たず、それはあるのが「当たり前」と思っていたものが、命を守る一番大切なものになる。
水がある。火を燃やす木や竹も溢れている。食糧も「原価0円」の山菜も、その気になれば増産可能な耕作放棄地もあるのが里山である。里山は世界的にも持続可能な環境として注目されている。
里山を元気にし、日本を元気にする。それに関わる呼びかけが「里山を食いものにしよう」である。里山に眠るエネルギーを利用し、エネルギーの自立を図り、荒れ果てている耕作放棄地等を利用する事などを通して、食料の自立を図れば、マネー資本主義やグローバル化の波に翻弄される事はない。