不動産開発業で、起業から4年で上場し、その後一転、リーマンショックの影響により、2009年に倒産したエスグラントコーポレーション。その創業から倒産、その後について激動の物語。
■生い立ち
物心ついた時には貧乏だった。川崎市内の6畳一間のアパートで育てられた。茨城県内で不動産ブローカー業を営んでいた父は50歳を過ぎて不動産業で失敗し、財産と自宅を失った。まともに働こうとしない父に代わって家族を支えていた母は、13歳の時に胃ガンで亡くなった。高校生になると、アルバイトで自分の小遣いを稼ぐようになったが、父は生活保護で得た金をパチンコに注ぎ込み、バイト代さえもあてにするようになっていた。当然のようにグレた。高校3年性になる頃には、地元の「チーム」で幹部を務めるまでになっていた。空手道場で汗を流す一方で、喧嘩に明け暮れるような生活だった。
アルバイト代を「もっとよこせ」という父に苛立ち、喧嘩になった時、父に包丁で刺された。そこで何かが変わった。高校3年生の夏休みを過ぎてから懸命に勉強し、神奈川県内の大学に補欠合格したが、不動産業への興味を深めていた。大学進学を諦め、宅建の資格をとり、投資用ワンルームマンションの販売会社に就職した。そこで夢中に働き、営業成績も3年目でトップに立ち、22歳で年収2000万円を稼ぎ、最年少の管理職に選ばれた。
2009年3月12日、エスグラントコーポレーションは、東京地方裁判所に民事再生を申請した。負債総額191億円。個人としても、上場を果たした事で得た100億円近い個人資産をすべて失い、逆に13億円ほどの借金を抱えるところまで追い込まれた。
大学進学を諦めて不動産業の道に飛び込み、懸命に働き続けた。業界最短、史上最年少での上場を果たして賞賛された。会社の売上は370億円を超え、さらに上を目指した走った。しかし、上場3期目にして23億8000万円の最高益を出す決算を終えた直後、リーマン・ショックを引き金にした不動産の暴落に飲み込まれた挙句、破綻への坂道を転げ落ちた。
著者 杉本 宏之
1977年生まれ。シーラホールディングス 取締役会長 高校卒業後、宅建主任者資格を取得し、住宅販売会社に就職、22歳でトップ営業マンとなる。2001年に退社し、24歳でエスグラントコーポレーションを設立。 デザイナーズワンルームマンションのデベロップメント事業を皮切りにプロパティマネン ジメント、賃貸仲介業、人材派遣業、中古マンションの再生販売、一棟収益ビル事業と事業を拡大し、総合不動産企業に成長させる。 2005年、名古屋証券取引所セントレックス市場に不動産業界史上最年少で上場を果たす。業容は拡大したが、2008年のリーマンショックの影響から急激に業績が悪化、2009年に負債191億円を抱え、民事再生を申請、受理される。 その後、2010年にシーラホールディングスを創業し、再びグループ売り上げ200億円に成長させる。
帯 サイバーエージェント代表取締役 藤田 晋 |
帯2 ライブドア元代表取締役 堀江 貴文 |
ビジネスブックマラソン 土井 英司 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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プロローグ ベンチャー経営者であることを | p.1 | 3分 | |
第1章 絶頂──ワンルーム販売から、総合不動産業。そして都市開発へ | p.7 | 32分 | |
第2章 暗雲──「傲り」を象徴する出来事が僕を蝕み始めていた | p.63 | 10分 | |
第3章 地獄──暗闇の断崖を転げ落ちながら必死でもがき続けた | p.81 | 38分 | |
第4章 奈落──民事再生、自己破産、絶望しそうな淵の底で | p.147 | 24分 | |
第5章 希望──2年間は修行と決めて真にやりたい事業を見つけ出す | p.189 | 20分 | |
第6章 感謝──どん底で知った感謝と共に新しい道を歩いていく | p.223 | 17分 | |
あとがき | p.253 | 2分 |
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