広告はモノを売るためだけでなく、社会を良くするためにもできる事がある。単にモノを売る広告から、社会を良くするための広告とは何かを考えながら、その事例を紹介しています。
■広告は社会を良くするためのものではないのか
元々、広告という仕組みは「社会をよくする」ために生まれたものである。CMは、元々、優れた映像コンテンツを誰でもどこでも無料で見られるために生まれた、素晴らしい仕組み。日本で初めて民間のテレビ放送がオンエアされた日、テレビにかじりついていた人たちは、CMをスキップしたいなんて思いもしなかったのではないか。
そして、高度経済成長期を迎えた日本にとって、CMを流せば、モノが売れ、雇用が生まれる。つまり、広告をつくる事は、多くの人にとって社会をどんどん良くしていく事とダイレクトに結ばれていたはずである。
でも、時代は変わった。誰でも企業や商品の情報を調べる事ができる時代に、広告は「真実から離れている」と感じられてしまうようになってきているのではないか。
モノさえ売れれば社会が良くなっていくわけでもないと多くの人が気付いている中で、広告は社会のために何を果たす事ができるのだろう。
■未来の広告のあり方
従来の市場は、お金とモノ・サービスのやり取りをする場であり、そして、広告とは「お金⇔モノ・サービス」の「⇔」の部分を促進させるものである。しかし、この世界で交わされているものは目に見えるものだけじゃない。そこでは「ボランティア⇔感謝」が交わされていたり、「知恵⇔知恵」が交わされていたりする。「個人の想い⇔個人の想い」が交わされていたりする。
「社会のための何か」が真ん中にあり、プロジェクトは、お金だけでなく、いろいろな人がいろいろなカタチの資本を出しあって、実現している。こうした「→」が行き交う中で、広告が果たす新しい役割は何か。従来の広告が「お金⇔モノ・サービス」の「⇔」を促進させるものだとしたら、これからの広告が果たすべき役割は「お金⇔モノ・サービス」以外の、様々な「→」をも促進させる事なのではないか。
「お金とモノ・サービスの交換をうながす」だけでなく、「様々な価値と価値の交換をうながす」もの。広告をそう再定義してみる。
「自分が社会のためにすべきだと思うこと」を真ん中に置き、それを実現するために、企業やNPO、メディア、個人など、様々な人達から、時間だったり、知恵だったり、場所だったり、愛だったり、勇気だったり、その代わりにそれぞれのステークホルダーに何をお返しできるかを設計しながら、たくさんの「→」を促進し、その「自分が社会のためにすべきだと信じること」を実現していく。そういう事を行っていくのが、もう1つの新しい広告の姿である。
著者 並河進
1973年生まれ。電通ソーシャル・デザイン・エンジン クリエーティブディレクター コピーライター。ユニセフ「世界手洗いの日」プロジェクト、祈りのツリープロジェクトなど、ソーシャル・プロジェクトを数多く手掛ける。 DENTSU GAL LABO代表。 ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン・クリエーティブディレクター。 受賞歴に、ACCシルバー、TCC新人賞、読売広告大賞など。 上智大学大学院非常勤講師。
週刊 ダイヤモンド 2014年 4/12号 [雑誌] 丸善・ジュンク堂営業本部 宮野 源太郎 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はじめに | p.3 | 2分 | |
第1章 原点――現状の広告に対するいくつかの疑問 | p.9 | 10分 | |
第2章 模索する日々――広告は社会のために何ができるか | p.27 | 46分 | |
第3章 広告のポテンシャル――広告づくりの発想や技術 | p.113 | 15分 | |
第4章 ヒト・モノ・コトはこれから“どう"つながっていくのか | p.141 | 7分 | |
おわりに | p.155 | 2分 |
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