アマゾンの誕生
ベゾスが起業場所にシアトルを選んだ理由は、技術の街として有名であった事と、カリフォルニア州などと比べ、人口が少なく売上税を徴収しなければならない顧客の割合を低く抑えられるからだった。仕事場は、全員で力を改装したガレージだ。最初の机2つは、ホームセンターから1枚60ドルで木製ドアを買い、ベゾスが手作りしたものだった。
1994年、辞書の「A」で始まる部分をじっくり検討したベゾスは「アマゾン」を見つけ、新しいURLを取得する。1995年春、β版ウェブサイトのURLを友人や家族に知らせた。ウェブサイトは文字ばかりで飾り気がなく、性能が低い当時のブラウザや遅いインターネットに合わせた造りとなっていた。しかし、見た目は大した事がなかったが、ショッピングカートやクレジットカード番号を安全に入力する方法、簡易な検索エンジンも用意されていた。この程度でも、当時は最先端の技術であった。
1995年7月にサイトが正式公開され、1週間で受注は1万2000ドル、出荷は846ドル分になった。正式公開の1週間後、ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロから電子メールが届いた。ヤフーでアマゾンを取り上げようかという問い合せだった。立ち上げから1ヶ月で販売実績が全米50州と世界45カ国をカバーするほどとなった。
ベゾスは資金調達に走り回る。100万ドルを調達し、1996年に入る頃には、月に30〜40%も売上が伸びるようになっていた。その夏、大きなイノベーションが登場する。書籍を買うよう顧客をアマゾンに誘導すると、誘導したウェブサイトに紹介料が入る仕組みである。アマゾンにとっては他のサイトまで傘下に置くようなものであり、早い段階でそうした結果、その後登場する競合サイトに対して有利な立場に立つ事ができた。秋になると、ユーザーに合わせたサイトのカスタマイズが始まった。アマゾン社内ではブックマッチと呼ばれた機能で,ユーザーが何十冊か本を評価すると各自の好みに応じた推奨本を提示するものだった。
エブリシング・ストアへ
1998年、ある調査の結果がもたらされた。消費者の大部分は本をめったに買わず、だからアマゾンを将来使う事もまずないというものだ。この調査がきっかけとなり、ベゾスは製品カテゴリーの拡大を急ぎ始めた。拡大のターゲットはまず音楽、次がDVDとなった。つまり、エブリシング・ストアへと変化していく。
会社が成長すると、ベゾスの野心は誰も想像できなかったほど大きなものだという事が明らかになっていく。ベゾスがウォルマート幹部の引き抜きに力を入れ始めたのだ。今の10倍大きな物流システムが欲しい、米国だけでなく、アマゾンが最近進出した英国とドイツもカバーする物流システムが欲しい、それがベゾスの望みだった。