あなたはどんな人間か
世界の多くの大学では「あなたはどんな人間か?」「どんな価値観、信条を持っているのか?」という部分を深く問いたいと考えている。この漠然とした問いに対し、自分なりに分析し、話を組み立て、答え方を工夫し、相手に説明しなければならない。
この難題に向き合うには、その人自身を表す大事な要素である「認識」という視点が大切になってくる。なぜなら、いかに同じ経験を積んだとしても「それをどう受け止めるか」によって、その価値や意味合い、影響力は大きく変わってしまうからである。経験は「事実と認識」がセットになっているのである。
自分の認識を疑い、他人との差に目を向けること
世界のトップスクールでは、合理的思考を身につけるための入口として、デカルト的アプローチについて必ず学ぶ。デカルトによると、物事の真偽を見極めるために必要なのは次の4つのステップである。
①とにかく疑うこと
②徹底して細分化すること
③細分化したものを単純なものから複雑なものへと段階を追って考察していくこと
④漏れがないように見直すこと
この4つのステップを踏んでもなお「確かである」と残ったものは、それは本物であると考えた。
デカルト的アプローチは、支持する人もいれば、真っ向から否定する人もいる。その感じ方、認識のスタイルこそが、あなたという人物を形作る重要な要素である。あなたの認識の仕方は、より「アナリティック(分析的)」なのか、より「ホリスティック(全体的)」なのか。
デカルトのアナリティックな視点に対し、全く逆のホリスティックな視点は、細かく分析する事によって何かをわかろうとするのではなく、より広く、大きく捉えなければ物事の本質なんてわからないという立場である。
老子は「善は、悪があるから善と呼ばれる。悪のあるおかげで善がある。お互いに片一方だけでは決して存在し得ない」と、両側面の存在を見つめる事の大切さ、大局観の重要性を伝えている。
このアナリティック、ホリスティックという視点は「西洋的」と「東洋的」と捉える事もできる。国籍や考え方が異なる人たちが集まって会議をしていると、この認識の差が大きな問題になる事がよくある。まずはお互いが「視点、認識に差がある」という事を理解した上で、話し合いを進めていく必要がある。そのために、まずは「あなた自身がどんな認識スタイルを持っているのか」を知る必要がある。
そして、いずれにしても「あなたが信じているもの」は、あくまでもあなたの認識をベースにしたものであり、世間一般で通用する真理とは限らない。まずは自分の認識を疑ってみる事が大切である。