578年に創業された世界最古の会社、金剛組の39代当主が、金剛家に伝わる16の教えを紹介。なぜ、金剛組は1400年以上もの間、存続することができたのか。
■世界最古の会社
金剛組は、聖徳太子より四天王寺の建立を命じられた金剛重光を祖として、578年、飛鳥時代に創業した。以来、社寺建築を業とする宮大工の集団として、また昭和30年からは、専属宮大工らに支えられる建設会社として歩みを進めてきた。長らく受け継いできた技術と精神を基に、聖徳太子と四天王寺と共にあり続けること。そして、1400年以上にわたり、300年後に評価される仕事を手がけているという誇りこそが、金剛組を支えている。
長い歴史の中では、戦争や天災のみならず、金剛組は幾度か断絶の危機に見舞われ、それを乗り越えてきた。第37世金剛治一の時代には、昭和恐慌のあおりを受けて、急激な経営難を迎え、責任を感じた治一は先祖の墓の前で自ら命を絶っている。こうした危機を乗り越えて金剛組が生き残ってきた理由は、確かな技術を持つ人材を育ててきたこと、後継者を血縁以上に能力で選んできたことにある。
西暦578年。金剛組の歴史は、飛鳥時代にまでさかのぼることから始まる。以来、金剛組1400年以上の歴史を支えてきたものは何か。
宮大工をはじめとする職方たちの力があってこそだという事実に間違いはない。伝統を守ることとは即ち、それを次世代に伝えられる人間を育てることである。会社は人がすべて。これこそが、1400年以上続けられてきた理由の1つである。
著者 金剛 利隆
1924年生まれ。株式会社金剛組 相談役 第39世四天王寺正大工職 1944年に福井高等工業学校(現・福井大学)建築科を卒業したのち、京都伏見・工兵隊に入隊。陸軍経理学校に入学し、中部軍管区司令部経理部へと配属され、曹長・見習士官を務める。 第2次世界大戦終戦後、熊谷組入社。その後、熊谷組を退社し、1947年に金剛光子と結婚、金剛家の婿養子となる。 1955年、金剛組の株式会社化と同時に、専務取締役に就任。1968年、株式会社金剛組の代表取締役社長就任に伴い、第39世四天王寺正大工職を継承する。2002年、会長就任。松建設による財政支援を受け、2006年に新生金剛組への営業権譲渡が果たされると相談役となり、現在に至る。
週刊 ダイヤモンド 2013年 11/23号 [雑誌] 丸善・ジュンク堂書店営業本部長 宮野 源太郎 |
ビジネスブックマラソン 土井 英司 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はしがき | p.1 | 4分 | |
第1章 1400年の伝統を支える人づくり | p.15 | 16分 | |
第2章 聖徳太子の命で始まった世界最古の会社 | p.47 | 11分 | |
第3章 いまも受け継がれる「遺言書」16の教え | p.69 | 11分 | |
第4章 「なにわの女棟梁」が老舗を立て直す | p.91 | 15分 | |
第5章 義理と人情が救った存続の危機 | p.121 | 16分 | |
第6章 原点回帰で歩み出す次の300年 | p.153 | 10分 |