レッドブルの誕生
ある日、マテシッツはタイにあるTC製薬社に出張した。ユニリーバのフランチャイズパートナーであるこの企業は、歯磨き粉だけでなく滋養強壮作用を持つドリンク剤も製造していた。リポビタンDと同様の成分を含み、主にトラック運転手や稲作農家に人気を博していた。クラティンデーンという名のドリンクで、タイ語で「赤い雄牛」を意味している。このエナジードリンクに惚れ込んだマテシッツは、交渉の末、アジア以外の地域においてクラティンデーンを販売するライセンスを獲得した。そして、商品の名を英語に翻訳して、レッドブル・トレーディング社を設立した。
設立当初、マテシッツは収入が全くなかったにもかかわらず、かなりの出費を強いられた。その額35万ユーロ。まず、オリジナルドリンクの味をヨーロッパ人の好みに合わせて変える必要があった。何度も実験を繰り返し、炭酸を添加することになった。同時に、マテシッツは市場参入を成功させるためのマーケティング構想を立てさせた。
当時、ヨーロッパ諸国の法律にはエナジードリンクなどというカテゴリーが存在しなかったため、新しい嗜好品の販売許可をヨーロッパ中で獲得する必要があった。ドイツでは承認審査が終わりそうにないため、オーストリアで最初に販売されることになった。当初は期待していたほど売れなかったが、ミックスドリンクの材料として適しているという評判が広がり、ディスコクラブの経営者やバーテンダーがレッドブルを好むようになった。
市場を創造する
マテシッツは最初から、レッドブルを価格の高いハイエンド製品と位置付けていた。そのためには、宣伝も最高の仕上がりでなければならない。レッドブルは、市場すら存在しない全く新しい商品でありながら、非常識なほどに販売価格が高いことを運命付けられていたのである。従って、需要を喚起することが何より必要だった。
そこでマテシッツは、大学時代の同級生ヨハネス・カストナーに声をかけた。カストナーは、レッドブルの急速な成功において中心的な役割を果たした。「レッドブル、翼を授ける」というキャッチコピー、そして斬新なコミック調のアニメを使ったCMを用いたキャンペーンを発案した。
レッドブルにとっては、その良し悪しに関係なく、イメージが何より重要である。ドイツへの非合法な輸入により、「禁止されているもの」という新たな魅力が加わり、その人気ぶりに拍車がかかった。さらに、このドリンクには雄牛の睾丸や精液のエキスが含まれているといった噂も広まり、需要は伸びる一方だった。これらの奇抜な噂に対して、レッドブル社はなんの対策も取らなかった。「ブランド商品にとって最も危険なのは関心をもたれないことだ」とマテシッツは答えている。2012年、レッドブルは165カ国で52億本販売された。