世界165か国で52億本販売された飲料ブランド「レッドブル」の成功物語。レッドブルの誕生から、その後スポーツを通じたマーケティングまでが紹介されています。
■きっかけは「リポビタンD」
「レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ」。ディートリッヒ・マテシッツが1980年代に初めて配布したプレゼン資料にはこう書かれていた。レッドブルはこの25年の間、零細企業からグローバルな大企業にまで成長した。
1980年代初頭、マテシッツはユニリーバの子会社ブレンダックスの国際部門マーケティング部のマネジャーのポストに就いていた。1982年、歯磨き粉、せっけん、シャンプーのための出張が、彼の人生と世界のドリンク市場を根底から覆す旅となった。それは香港のホテル、マンダリン・オリエンタルのバーでのことであった。マテシッツは他の出張客と談笑しながら、雑誌『ニューズウィーク』をパラパラとめくっていた。
この時、ある記事が彼の関心をひいた。その記事には日本の高額納税者リストが掲載されており、1位には彼が聞いたこともない企業、大正製薬の経営者であることに気が付いたのである。この企業は『リポビタンD』という名の飲料を製造していると紹介されていた。この時38歳のマテシッツは、日本でこのような製品により一番の高額納税者になる事ができるという事実に感銘を受けた。
■レッドブルとは何者か?
現在、レッドブル社は、オーストリア発祥の消費材企業としては、光学・クリスタル製造業のスワロフスキー社と菓子製造業マナー社につぐ第三の、そして世界的ブランドという意味では最大の企業にまで成長した。
創業者のディートリッヒ・マテシッツは、最も裕福なオーストリア人でもある。『フォーブス』は2012年における彼の資産は53億ユーロであり、今後も増加する見込みだとしている。現時点での統計では、世界人口の2/3が1年間に一度はレッドブルを飲んでいる計算になる。
しかし、レッドブルが世界的に知られるようになったのは1990年代後半になってからだ。かの細長い缶に入った甘いエナジードリンク、レッドブルは、わずか数年の間に世界中で爆発的な人気を博した。この商品を中心に、マテシッツは過去数年の間に、マーケティング、スポーツ、レジャー、メディアを取り巻く一大企業群を創りあげた。いまや、F1、サッカー、アイスホッケー、健康ドリンク、飲食店、ホテル、テレビ局、出版社の分野で、かの有名な太陽を背景に向かい合う二頭の雄牛のロゴマークを見ることができる。
1971年生まれ。作家 政治学、ジャーナリズム、ロシア語を専攻。執筆活動のほか、ザルツブルグとウィーンの新聞の編集者として活躍。ポルシェ、アウディ、フォルクスワーゲンで活躍した経営者フェルディナント・ピエヒをはじめとする経済人や政治家の評伝を出版している。
THE 21 (ザ ニジュウイチ) 2014年 01月号 [雑誌] |
日経ビジネス Associe (アソシエ) 2014年 01月号 |
ビジネスブックマラソン 土井 英司 |
週刊 東洋経済 2013年 11/16号 [雑誌] |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
---|---|---|---|
序 章 レッドブルとは何者か? | p.16 | 3分 | |
第1章 市場を創造する | p.22 | 11分 | |
第2章 世界市場を制圧せよ | p.39 | 8分 | |
第3章 「販売禁止」を逆手に取る | p.52 | 5分 | |
第4章 男と男の握手に価値がある | p.59 | 7分 | |
第5章 銀行にだけは借金するな | p.70 | 5分 | |
第6章 すべてがマーケティングだ | p.78 | 7分 | |
第7章 スポーツの一部になる | p.89 | 9分 | |
第8章 ファンに抵抗されてもサッカークラブを買収 | p.104 | 15分 | |
第9章 F1王者になる | p.127 | 15分 | |
第10章 氷の上のブル | p.150 | 4分 | |
第11章 メディア嫌いによるメディアへの進出 | p.156 | 12分 | |
第12章 グルメ・ブランドの創設 | p.174 | 7分 | |
第13章 叩き上げの億万長者 | p.186 | 3分 | |
第14章 オーストリアに喜んで税金を払う | p.190 | 14分 | |
第15章 レッドブルのもう一つの顔 | p.211 | 8分 | |
第16章 創業者マテシッツの華麗なる人脈 | p.224 | 13分 | |
第17章 ブルと呼ばれる男 | p.244 | 12分 | |
終 章 ブルのこれから | p.263 | 3分 |