考えるきっかけのつかみ方
世界について考えようとする時には、まず、頭の中から「世界」という言葉を追い払おう。その上で、日本、もっと言うなら、身の回りの日常性に思いを凝らす。そこから世界へと、考えを広げてゆく。日本について考えようとする時には、頭の中から「日本」という言葉を消してしまおう。その上で,世界のどこかあるところから、身の回りの日常を見つめてみようと努める。
私達は「大きいこと」を考えようとすると、「大きく」考えてみようと構えてしまう。ところが現実には「世界」という現実と言葉はあっても、「世界」というものはない。いろいろな国々の、人々の動きや営みの、細かな1つ1つが積み重なって渦巻いている、その全体を便宜的に「世界」と呼んでいるだけなのである。だから「世界」について考えるためには、まず身の回りにあるものの中から、「世界」を発見してかからなければならない。はなから全体をのぞこうとしてものぞけるものではない。小さくのぞいて、大きく育てる。そんな心構えの方が効果を上げるのではないか。
オリジナルなものを生み出す力
誰にも「立場」というものがある。その立場から、どれほど離れる事ができるか。その距離が、独創的なものを生み出す源泉となる。独創的と書くとどうも重苦しい感じになるが、これをオリジナルと書くと、もうちょっと軽くなる。
国語辞典の例文にあるように「相手のーーになって考える」というのも1つの方法である。生産する立場にある側が消費者の立場になって考えてみる。そして、消費者の要求に応えられるようなオリジナルな新製品を開発してゆく。この方法は古くからどこでも言われている事だが、建て前に過ぎない存在に成り果てている。なぜかと言えば、「相手の立場になって考える」技術と方法がないからだ。
立場から距離を置くには、自分が「生活者」になる事だ。多くの会社員は、職場を離れても「会社人間」のままでいる。「遊び」に切り替えるのも立場を離れる1つの方法だ。
日頃、意識的に行動して手に入れたいいろいろな素材を、頭の中の引き出しにしまい込んでおく。日常の行動のすべてが準備なのである。「遊び」も重要な「引き出し」作りの1つ。オリジナルな考え方とは、毎日を精一杯生きてゆく生き方の反映なのかもしれない。
何か1つ、心に引っかかったら、糸をたぐるように追跡してゆく。いつも何ものかに問いかけようと努める事を通じて、「心に引っかかる」ものを求めてゆく。それから後、集中豪雨的に1つの事に関心を集中させて、先へ先へと進んでゆく。こうして好奇心の領域を広げてゆく。