人気作家が世の中の様々なことに疑問を持ち、問いを投げかけることで、「考える」こととは何か、その示唆を与える。世の中をブツブツ考える100のエッセイ集。
■明日死ぬと思って行動し、永遠に生きられると思って考える
普通の人はだいたい、先の事を考えろと言われると、どうせいつまでも生きられる訳じゃないから、と考えようとしない。そのくせ、これは明日やろう、これを来年やろう、と行動を先延ばしにしている。
明日死ぬと考え、同時にいつまでも生きられると考える。そういう想像が人間ならばできるはずだ。現実は、その両極の範囲内に必ず収まるので、どんな事態になっても想定内という事になる。自分の家族も、自分の愛する人も、この両方を考えて、それに従って行動し、考える事が良い。
■歩き始める前が、一番疲れている
犬の散歩に毎日出かける。早朝は、真冬だとマイナス20℃くらい寒い。全然やる気はない。眠いし、なんだか躰が疲れていて重かったりする。犬たちは行く気満々だが、僕は散歩にいってもメリットはないのである。まあ、しかたなく出かけるのだけれど、歩いている内に、だんだん歩くのが楽になり、帰ってきた時には、案外気持ち良くなっている。歩くほど疲れるのが、実は逆に感じられる事が多い。ほとんどのチャレンジにこれは共通している。やり始める前が、最も道が険しく見えるのだ。
■今や、理由のないものが新しい
この何十年か、社会は理由を追い求めすぎたのではないか。これは情報化社会になって、みんながとにかく「知ろう」として、マスコミなどの情報発信側が、必要以上にこれに応えようとした結果ではないだろうか。すべてに何らかの理由があるはずだ、という信念は、科学が発達した事に原因があると思う。それまでわからなかったものが、次々に解明された。神や精神世界のせいにしていたものが、悉く原因のあるものだと考えられるようになったのだ。
理由を知る事で人々は安心する。しかし、理由というのは単なる言葉であって、その言葉を鵜呑みにする事が、理由を知る事だ。本当は理由が成立する原因を知る必要があるけれど、そこまでは求めない。
エンタテインメントの世界にも、いろいろな理由が持ち込まれている。人を感動させるものが何か、過去にヒットした作品を分析して、家族愛だとか、悲恋だとか、飼い主を失ったペットだとか、そういう理由が見出され、それがなければ、作品は当らない、と考えるようになる。要するに理由を知れば、そこに「手法」が現れ、みんながその手法にすがるのである。結果として、新しいものが生まれない。面白いものに理由があると考えている事が、そもそも面白くないものしか作れない理由だ。
■はっきりしない人間になろう
「はっきりしろ」と言われる事は多い。しかし、好きなのか嫌いなのか、自分はどんな人間なのか、そんなにはっきりわかっているのだろうか。はっきりしている人間というのは、つまりそれだけ「浅い」のだろう、と想像してしまう。人間の「深み」という言葉が示す通り、魅力のある人、尊敬に値する人、凄い人というのは計り知れない。現実も、いったいどこに本質があるのかはっきりとは見えないものである。物事を簡単に断定しない慎重さこそ「深さ」であって、意見を絶対に変えない頑固さが「浅さ」になる。
著者 森博嗣
1957年生まれ。小説家、推理作家、工学博士。 国立大学の助教授として「粘塑性流体の数値解析手法」の研究を続ける傍ら、小説を執筆。1996年、『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞。 大学や研究所等が舞台となることが多く、作風も相まって理系ミステリィと評され、話題を呼んだ。広義の推理小説と呼ばれるジャンルを中心として執筆していたが、近年は、恋愛小説、絵本、詩集といった他分野にも進出している。
週刊 ダイヤモンド 2013年 9/14号 [雑誌] 三省堂書店営業本部課長 鈴木 昌之 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
---|---|---|---|
まえがき | p.1 | 1分 | |
1限目 未来を考え、現在に生きる「人生」論 | p.13 | 19分 | |
2限目 思考の盲点をつくらない「知識」論 | p.41 | 22分 | |
3限目 なまった理性を研ぎすます「感情」論 | p.73 | 19分 | |
4限目 疑問から本質に近づく「表現」論 | p.101 | 29分 | |
5限目 客観的思考を手にする「社会」論 | p.143 | 31分 | |
補講 思考に「遊び」をつくる森教授の視界 | p.189 | 24分 |
バカの壁 (新潮新書) [Amazonへ] |