スタート地点でつまずいた社長たち
・小林一三(阪急グループ創業者)
小林一三は、明治時代に脱サラをして起業した初期のロールモデルである。一三は元々文学青年で、新聞社に入って小説を書きたいと思っていたが、三井銀行に就職。そのため仕事に身が入らず、社内では冷遇される日々。落第サラリーマンの一三は34歳で三井銀行を去り、行き場がない時に知人の紹介で鉄道会社に拾われる。入った鉄道会社がボロ会社だったため、一三しか実働できる人間がいなかった。そこからボロ会社を立ち直らせるべく、懸命に働き50代に入ってようやく表舞台へ出ていく事になる。
・石橋正二郎(ブリヂストン創業者)
石橋正二郎が最初に選んだ人生の選択肢は、大学進学を断念する事だった。兄が陸軍に召集された事で、家業の仕立物屋の一切を任される。シャツやズボンなどを注文に合わせて作り、猛烈に働いたが、将来性を見出せない。そんな状況に挫折感を味わいながら、正二郎は、扱っている商品の中でも量産できる足袋に目を付ける。生産の効率化を図り、足袋の単品生産に踏み切り大成功。その後、足袋の底にゴムを装着して実用的なゴム底足袋を開発して飛躍のチャンスをつかみ、そこから自動車タイヤの国産化を目指す事になる。
ビジネスで失敗した社長たち
・福武哲彦(ベネッセ創業者)
小学校教師だった福武哲彦は、30歳の時に終戦を迎える。闇屋、ブローカー、アイスキャンディー屋などを転々としながら、もがき苦しみ出版事業を始める。哲彦が参入したのは教育関連。小学生向けにテキストやドリルなどの教材を作り、これが大当たり。しかし、集金ができずに不良貸付が増え、倒産を経験する。会社も預金も家財道具もすべて失い必死に考えた末に「生徒手帳」と「年賀状の手本集」を作り出す。これが当たり、倒産の翌年にベネッセの前身である福武書店が設立された。
・三島海雲(カルピス創業者)
三島海雲は貧乏寺の住職の子息として生まれる。仏教大学で中国に留学し、北京で日本商品の輸入業を始める。日露戦争が始まると軍馬調達の仕事を受けて一儲けし、モンゴルで牧羊をスタートさせる。しかし、辛亥革命が起こり、事業は軌道に乗る前に頓挫する。海雲はモンゴルで「カルピス」の原点である遊牧民らが飲んでいたすっぱい飲み物に出会う。乳酸菌で作った酸乳だった。これにビジネスの可能性を見出す。無一文で帰国後、酸乳の研究を重ねカルピスの前身となるラクトー設立に至る。