本の都、ヴェネツィア
16世紀のヨーロッパで人口が15万人を超える巨大都市は3つ、ヴェネツィア、パリ、ナポリのみだった。当時、ヴェネツィアには、他の都市では類を見ないほど、たくさんの書店が集まっていた。その活況たるや、グーテンベルクが聖書を印刷したドイツを凌ぐほどで、16世紀前半のヴェネツィアでは、ヨーロッパ中で出版された本の実に半数が印刷されていた。
ほとんどの書店は印刷所も兼ねていたため、本の大半は印刷者兼発行人の作品である。16世紀の本は基本的にページ売りで、買った人が自分の好きなように製本する。高価な生地や金属を用いた、芸術作品とも言うべき装丁もあった。
価格は交渉次第で、書店の主人と客との間で行われる短いやり取りで決まった。ただ、手書きから印刷された本へと移行した事で価格の崩壊は避けられなかった。200ページの豪華な手書き本が約26ドゥカート、対してボッカチオによる大衆作品でも10ソルド(0.08ドゥカート)だった。
当時の書店
当時の帳簿が残っているフランチェスコ・デ・マーディの書店の本棚は、1/4は古典ラテン語で、ボッカチオ、ダンテなど中世の高尚な人文学作家の作品。次に宗教関連書が20%、娯楽文学が16%、法律書が7%。4年間で12934冊の本が売れ、売上は4200ドゥカート(金14.7キロ分)だった。書店主たちは客の好みの本を提供する事で売上を伸ばそうと努力したが、18世紀末までは、読書は限られた人のためのものだった。18世紀のドイツでは、本を読む人の割合は総人口の約1.5%で、読書の習慣が普及するのは次の世紀になってからの事だった。
出版界の革新者
出版界は、アルド・マヌーツィオの登場によって大きく様変わりする。彼はイタリック体を発明し、さらに句読点を採り入れた。最初のベストセラーを記録したのもマヌーツィオだ。そして、その最大の功績は本を娯楽の対象にした事である。祈祷や学習の道具として用いられていた本を、余暇の時間に手にするものにした。
マヌーツィオは現代で言う初の出版人だった。彼は知識人で、出版する本も売れ筋の作品だけでなく、きちんと内容を見て選んだ。出版業界はこの時代を境に大きく発展する。
ヴェネツィア出版界の衰退
ヴェネツィアの出版ブームは3つの要因に基づいていた。豊富な資本、商業ネットワーク、言論の自由である。しかし、16世紀後半になると、これらの条件は失われてきた。商業から離れたヴェネツィア貴族の関心は不動産や農業、水力よる産業活動へと向けられる。一方で、大西洋航路が切り開かれた事によって、主要な貿易ルートは地中海の外へと移る。
さらには大陸の北側の国々が、宗教改革を受け入れたために、出版の自由を異端審問に侵される事がなくなり、ヴェネツィアの重要性が失われた。