若者と人間関係
モータライゼーションは、地方の若者の人間関係にも影響を与えた。かつて、商店街は濃密な地域社会の人間関係を育む場所であった。しかし、地方は商店街のない郊外へと変化した。余暇において「イオン的なところ」に家族や友人と車で行くなら、地域住民に会う事もない。若者は地域社会における人間関係から解放されたのである。
しかしそれは、地域社会の濃密な人間関係が持っていた「社会の懐」をも消失させ、彼らの漠然とした不安感の一因となっている。
若者と仕事
地方の若者たちの仕事に対する満足度は著しく低くなった。彼らは収入が低く、未来の見通しも悲観的だからである。しかし、彼らは低賃金労働のつらさをやりがいによってカバーしている。彼らにとって仕事の「やりがい」とは、構造的不況による収入の激減という世代的な危機的状況を克服するために生まれた集団的な「生きる知恵」なのである。
若者たちの低賃金のきつさをメンタル面で支えているのが「やりがい」だとすると、それを金銭面で支えているのは親の存在だと言える。しかし、仕事のやりがいも親との快適なパラサイト生活も、持続性のあるものではない。仕事のやりがいと良好な親子関係の終焉は、ともに大きな社会不安をもたらすだろう。
どうすれば地方にこもる若者たちを解き放てるのか
80年代以降、管理教育の終焉、地域社会の衰退、労働の脱男性化という3つの要因によって、地方の若者たちが生きていく上での前提であった「大人の世界」は不安定なものとなった。しかし、00年代、モータライゼーションの完遂は「世界から自分たちを守ってくれる楽しい地元」を出現させた。地元は「大人の世界」から「若者の世界」へと変貌した。夢は地元を出て1人で叶えるものから、地元に残り続けて仲間たちと叶えるものへと変化した。
社会の安定性の崩壊は、画一的な生き方の押しつけから若者を解放したが、同時に必要不可欠な公共性をも喪失させてしまった。この状況を打開するための「新しい公共」の構築には「他人の事は分からない」という前提を持ちながらも「他人とぶつかり合いながら自分たちを高めていく」という新しい姿勢が求められている。
現代社会において、若者たちは「分離」(違う者同士互いに干渉し合わない)傾向と、「統合」(違う者同士がぶつかり合い落としどころを探っていく)傾向に二極化している。現在「こもっている」若者は「分離」の段階にあるのではないか。しかし、社会の多様性を認識した上で「こもる」という選択をしているのであれば、彼らは既に「統合」に向けた準備ができていると言える。むしろ「こもってないで外に出ろ」と声高に叫ぶ大人こそ、社会の多様性に鈍感で、実は彼らより開かれていないかもしれない。