GDPは時代遅れ
人もビジネスも政府も、どこかの時点で「もう十分」という判断をする。これはミクロ経済の基本である。しかし、マクロ経済にはこのルールが存在しない。マクロ経済の至上目標はどこまでもGDPを上げる事だ。しかし家庭から地球まで、あらゆるレベルの経済には物理的な限界があり、コストが利益を超える閾値がどこかにある。マクロ経済も「どこで止めるか」ルールを持たねばならない。
経済指標がなかった大恐慌時代や、国がどのくらいモノを作れるのかを知る必要があった戦時には、GDPは大きな働きをした。しかし、GDPは経済指標として時代遅れであり、国民にとって最も大事な事を無視してしまう。
経済の本当の目的
そもそも経済の本当の目的は「最大幸福を 最大多数に できるだけ長期にわたって」もたらす事である。
①最大幸福(高い生活の質)
貧しい国では、購買力や生活水準が上がっていく時に幸福感が急激に高まる。しかし年収1万ドル程度で満足度の伸びは鈍り始め、最終的には低下し始める。アメリカではここ50年間で平均年収は2倍以上になったが、満足度は下降傾向にある。
幸福感の一部は個人的なものだが、幸福度には環境や社会の状況が関係し、多くの場合、政策が左右する。経済は、人々の幸福度を増すために、時間の使い方のバランス、暮らしの安心、人とのつながりなどにもっと関心を向ける必要がある。
②最大多数(社会的な正義と公正さ)
「最大多数」というコンセプトは、まさに「公平」という事であり、誰もが平等に生活上の「よいこと」を無理なく手に入れられるべきだ、という道徳感覚である。アメリカの貧富の格差は先進工業国の中で最大である。経済発展が続いているにもかかわらず、中低所得層の真の購買力は、ここ30年ほどほとんど伸びていない。一方で最も富裕な1%の所得は国家の所得全体の20%を超えた。
最も平等な国、特に北欧ではGDP以外の寿命、乳児死亡率、人生の満足度、教育などの指標においてトップである。富を広く分配すれば、皆が幸せになれる。こうした国々は、一人当たりのGDPがアメリカよりも小さいのに、優れた福祉を行っている。「最大多数に最大幸福をもたらす」ためには、全体として大規模な公的支給と社会保険が必要になる。つまり、富を富裕層から貧しい層に動かす方法が必要だ。
③できるだけ長期にわたって(持続可能性)
現代の人間は、人類史上最も繁栄しているが、それゆえ人間が依存する地球システムの持続可能性を脅かすというパラドックスに直面している。持続可能性のパラドックスを解決する道は、新たな解決策を探す事ではない。すでにわかっている解決法を「実行すること」である。これまでと同じ「経済成長」を求める事は、その解決にならない。