君の人生はいま何時だろう?
多くの若者が過ぎ行く時間の早さに戸惑っている。大学2年の学生たちは、新入生の時期がどう過ぎていったのかもわからないと言い、3年生になった途端、卒業はもう目の前だなどと言う。卒業できても、就職先が決まらなければ、過ぎて行く1日1日に焦り、落ち込むばかりだ。
人が生まれて死ぬまでの一生を24時間で表したら、君はいま何時頃を生きているのだろうか?
君が24歳で大学を卒業するとして、80歳を1日とすると24歳は、朝7時12分でしかないのだ。そう、まだ時間はたっぷり残っている。「もう遅い!」と決めつけてしまうことは自己欺瞞だ。挫折や諦めの理由を自分でつくってしまってはいけない。
君の熱い思いにしたがえ
熱意の力は大きい。熱意の力があれば、世間の物差しではなく、自分の価値と情熱とやりがいを基準にして生きる事ができる。そうして狭く険しい道を「買ってまでして行く」馬鹿みたいな決断を下した人たちが、ある地点になると、誰も侮れないポストにのぼりつめている。一瞬一瞬、最も合理的に、有利に思える意思決定を重ねたからといって、最終的に最も合理的な結果がでる訳ではないのだ。
自分の情熱ではなく、人がいいという理由で選んだ職業や、安定した高収入が保証されそうだからと選んだ職業はむなしい。未来に導かれる人生、夢に導かれる人生、熱意に導かれる人生を生きよう。
君という花が咲く季節
梅、桜、ヒマワリ、菊、椿。この花の中で一番、どれが立派だと思うか?
一番立派な花などない。それぞれ理由があって、自分が咲くべき季節に満開になるのだ。人生に関して、私達はひどい近視だ。だから、晩秋に美しい輝きを見せる菊になろうとせず、早春に香る、梅にばかりなろうとする。「はやく」咲くという理由だけで、梅がこの世で一番立派な花なのか?
忘れるな。君という花が咲く季節はちゃんと別にある。まだその時が訪れていないだけだ。だから、顔をあげるんだ。君の季節を準備するんだ。
思っているほど底は深くない
人生では時々、井戸にはまったような状況に置かれる事がある。出口も非常口も見えない、不安で苦しい。
僕ならこうする。ロープを手放す。
そうすれば底に落ちるだろう。底というのは見えないから深く感じるだけで、実は思っているより深くない。私たちはわずか30cmほどのところで、もうダメだ、死にそうだと思いながらブラブラぶら下がっている。人生ではいつもそうだ。
ロープを放して足が着けば、「ああ、思ったより深くないじゃないか?」とわかるだろう。そしたら少し休めばいい。またロープをつかんで外に出るだけの気力が生じるまで。