三流からはじまった
高校を出てからは、誰がどう見ても明らかに三流だった。高校を卒業し、東京に出てきて最初に働き始めたのは、不動産屋のチラシをメインに扱っている小さなデザイン会社。毎日毎日、徹夜してひたすらチラシを作り続けた。4年くらいそこで働いた後、サントリーの広告などを手がける有名なデザイン会社、サン・アドに転職するが、イメージが違っていたから2ヶ月で辞めてしまう。その後3年は、広告代理店など何社かを転々とし、名古屋の実家に戻った。そこで、喫茶店で働く事にした。
ちょうど、喫茶店のマスターをしていた時に新聞広告の公募展「朝日広告賞」で準大賞をもらった。新聞を見ていたら、たまたま賞がある事を知り、出してみようと思いついたのだ。準大賞と言ったが、元々は3位になる予定だった。1位の作品が「もう、朝日新聞はいらない」というようなコピーで、主催の朝日新聞社から待ったがかかったのだ。そんな展開で3位が2位に。僕が二流にこだわるのは、この「二等賞」の感じをずっと引きずっているからかもしれない。たまたま2位になった事で「1位という一流」がちょっとだけ見えてしまったのだ。
一流を知る事で二流になる
この受賞がきっかけになり、日本デザインセンターに入り、原研哉さんに出会う。後に、吉岡徳人さんに出会う。この2人と一緒にいたから、一流になっていく足跡や微妙なこだわりにいたるまで見る事ができた。一流を知った事で、自分自身は二流になれて、多くの一流の人たちと交流が持てた。
人が一流かそうでないかを見分ける一番シンプルな方法は、話す内容を聞く事だ。例えば、三流は自分の話しかしない。「この前、誰さんと会って、こんな事があった」と他人の名前こそ出てくるけど、結局は会った事そのままを話しているだけ。一流は、他の一流とつながり、そこから得られた事を消化して口に出す。受け売りではなく、あくまで自分の言葉で話す。二流はそれに憧れながらもなかなかできない。
二流には「つなぐ」役割がある
二流とは、すべての「真ん中」にあたる存在だ。中年、二代目、中間管理職。中途半端というイメージがあるが重要な存在だ。それはなぜか。一流と三流が直接接触してしまうと、刺激が強すぎるからだ。三流は一流の考え方を理解する事ができず、納得できる答えも得られない。一流の経験と三流の悩みを理解し、伝える事ができるのは二流だけ。
二流的存在は、必ず板挟みとなる。苦しいけど、その分、自分も両サイドも伸びる。真ん中が意識を持つ事で、挟んでいる側の意識は必ず変わる。
三流は自分、二流は自分と社会、一流は社会。いつも気をつけているのは、この個人的自分と社会的自分、その視点を半分ずつ持つ事だ。二流が通過点の意識を持つ事ができず、三流から一流への橋渡しができないとしたら、全体がしぼんでいく。