モーレツ企業、大和ハウス
転職のきっかけは、書店でふと手に取った週刊誌だった。「モーレツ企業、大和ハウス」と見出しが躍っていた。オーナー経営者を目指す自分を鍛えてくれる修業の場が見つかった。
大和ハウス工業での配属先は、本社の資材課だった。堺工場での鉄パイプの在庫管理が初仕事。工場は8時始業で、その前に7時半からラジオ体操がある。当時、通勤に片道2時間かかった。毎日午前5時半に家を出て、家に着くのは夜中の12時過ぎ。そんな暮らしを約2年間続けた。
その後は、購買部を経て、住宅事業部次長になった。部下と一緒に飛び込み営業から始めた。団地で片っ端から呼び鈴を押していく。断られ続け、無視され続けた。心が折れそうになると「いい話を持ってきたのに、この人は損をしたな」と自らに言い聞かせた。
一番大切なのは決断
36歳の時、山口支店長の辞令が出た。朝礼は午前8時半から。遅刻する者は追い返した。度重なる場合はビンタもやった。営業目標を大幅に狂わせた管理職、確認や指示がいい加減な管理職も容赦しない。胸ぐらをつかんで責め立てた。「鬼」と呼ばれた。部下の心は離れ孤立した。
赴任して半年、石橋オーナーが視察にやって来た。「全力疾走して後ろを振り向いたら誰もいない」と数々の愚痴をぶちまけた。オーナーは「長たる者、一番大切なのは決断やで」と言った。その日から、夜10時でも11時でも、部下が帰って来るまで支店で待ち、徹底的に話し合って決断した。支店の空気は変わった。山口支店は社員1人あたりの売上高と利益額でトップに立ち、日本一の支店となった。
凡事徹底
山口支店が軌道に乗ると、福岡支店長の辞令が出た。会社の意図は「赤字の福岡支店を立て直せ」である。沈滞ムードの事務所を歩き回った。電話の応対が気に食わない。ベルが何度も鳴ってからようやく受話器を取り、しかもたらい回しにする。そこで、ベルが鳴ると1度で取り、元気よく答え、すぐ担当者につなぐよう改めた。これを「凡事徹底」と呼ぶ。こうした普段の積み重ねが信用につながる。
コスト管理が不十分だから赤字になる。資材課長を呼びつけ、「こんな予算が通るか」と怒鳴り、予算書の束を破って投げつけた。無駄な設計を見つけ、設計課長たちを絞り上げた。士気が上がらないのは赤字支店でボーナスが少ないからだ。ならば黒字にすればいい。大和ハウス工業で分譲中の巨大団地「岡山ネオポリス」の営業を集中的にやれと命じ、半年で黒字転換した。
福岡支店長を5年務めた後、東京支社建築事業部長を経て、大和ハウス工業の取締役になった。平凡な人間が非凡な事をなす唯一絶対の方法が「凡事徹底」である。