行き過ぎた行動はリーダーシップを失う
アーティストは何かを作る行為と、その何かについて考える行為を区別しない。そのため、彼らはプランなしに問題に取り組んでいるように見える事がよくある。まず行動を起こして先に進みながら、どうやってそれを続けるかに関するデータを同時に収集しているのだ。
アーティストにとって「正しいことをする」とは、評価された選択肢の中から論理的にいずれかを選ぶ事ではなく、その瞬間にこれが正しいと感じる事だ。学長として、その瞬間や状況を完全に理解する唯一の方法は、RISDの日常業務に直接飛び込んで理解しようと努める事だ。だからカフェテリアで食事を配る事から、新入生の荷物運びまで何でもやってみた。
自分から行動するタイプのリーダーにとっての主題は、リーダーシップと行き過ぎた行動のバランスをとる事だ。そうしなければ、過度に部下の行動に口を挟むミクロマネジメントが姿を現す事になる。これが「手を汚すリーダー」の負の側面だ。あまりに下の方まで下りて自らの手を汚す事は、自分の指揮下にある人の仕事を奪う事になる。
自分が手を汚すべき分野を見つける必要がある事を学んだ。RISDを理解して導くために取り組んでいる日々の業務こそ、手を汚すべき仕事なのだと。
フィードバックを歓迎する
アーティストにとって、批評は、自分の作品の根底に横たわる問いが見る人に伝わっているかどうか、また本来の意図や完全性が損なわれる事なく作品に宿っているかどうかを確認できる機会だ。批評される事は、不快だが効果的な訓練になる。良い批評は自らの盲点を明らかにしてくれるが、そこから立ち直るのが困難なものでもある。だから、誠実な批評には広い心で向き合う事が何より大事だ。
組織の上に行けば行くほど、周りの人間は報復を恐れて本人に本音を伝える可能性が低くなる。けれども、挑発なしで新しい事を学ぶ事は不可能だ。そこで、オープンオフィス・タイムと朝食タイムを設けて、その時間に教員や大学職員、学生たちが自由に訪ねられるようにした。たくさんの選択肢を示される事は可能性のドアを開ける事だと気が付いた。
学び、成長する
アーティストは変化を導く天然の導管であり、素材から完成品を作り上げる。アイディアを現実のものに変えるために、新しいやり方や既存方法の改良を常に模索している。新しいものを学ぶという事は、新しい世界の見方を見つけるだけでなく、世界を変える方法を見つける事だ。
学長になってから「調子はどうですか?」と聞かれると、「勉強中です」と答える。すると、CEOらしい上昇志向な返事を期待していた相手は必ず狼狽して「そんなに悪いのですか?」と言う。このやりとりの後で、学ぶ事がいかに最高のものかを明らかにしなくてはいけない。間違える事も受け入れる。だから、成長している。