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2012/12/31更新

企業家たちの幕末維新 (メディアファクトリー新書)

142分

3P

  • 古典的
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  • すぐ使える
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明治のベンチャー企業家たち

幕末・維新期は数多くの新興企業家を生み出してきた。

・岩崎弥太郎
最低身分の武士から身を起こして三菱財閥の基礎を築いた。弥太郎は、少年時代から詩文に頭角を現し、その後土佐藩に出仕。土佐藩の長崎貿易を管理する地位につき、商才を錬磨した。維新後、明治政府は旧来の枠組みによる通商を嫌い、弥太郎は土佐藩から海運業を引き継ぐ。1874年の台湾出兵に際し、政府に近づいて軍隊・軍需品輸送を引き受け、その功績で船舶13隻の無償貸し下げ、助成金、低利融資などの保護を受ける事になる。三菱は国内海運業者のトップの地位に躍り出た。西南戦争の際にも、全面的に政府の軍需輸送に協力し、巨大な利益を得る。その利益で政府船を買い上げ、政府の規制から免れる道を開いた。

弥太郎の死後は、三菱は海運業を離れ、弥太郎の弟・弥之助のもとで「海から陸へ」の戦略転換を行い、財閥へと進んでいった。のちの財閥形成で重要となったのが、弥太郎の始めた高島炭坑と長崎造船所であった。

・安田善次郎
幕末から維新期の動乱を利してのし上がった安田財閥の創始者。善次郎は、商人として身を立てるべく、まず小間物屋に奉公。4年後に海苔・鰹節問屋で両替業を兼営する店に2年間勤める。この店で、両替商として最も大事な「貨幣の鑑定眼」を養った。善次郎は貯めた25両を元手に銭両替兼乾物小売の店「安田屋」を開業。当時、幕府はたびたび貨幣改鋳を行ったために、発行年次によって品位・重量が異なる様々な貨幣が流通し、確かな目をもつ両替商でなければ仕事にならなくなった。善次郎は多くの両替商が休業に追い込まれる中で幕府の御用を引き受け、莫大な利益を得た。

明治に入っても善次郎は蓄財を重ねる。維新政府が発行した信用の薄い太政官札を積極的に引き受け、安い価格で買い集めた。政府が金本位制に統一し、太政官札の兌換を約束すると、価格が上がり、また莫大な利益を得る事となった。こうして善次郎は銀行を設立できる資力を蓄え、安田銀行を創立した。

・大倉喜八郎
大倉財閥は第二次世界大戦後に解体指定を受けたとき関係会社48社を擁し、全国の会社資本金の1%を所有する資本金規模第8位の財閥だった。大倉関係の事業は今日でも大成建設、サッポロビール、帝国ホテル、あいおい損保などとして残っている。

喜八郎は江戸の鰹節店の住み込み店員となって勤勉に働き、3年後に独立して乾物商・大倉屋を開いた。しかし、横浜で鉄砲がさかんに輸入される光景を見て、鉄砲店を開店。外国商人から武器を買っては勤皇・佐幕軍に売りつけた。喜八郎は明治になると外国貿易業に転身する。軍需品を中心に各省庁の御用達を得ることを目的とした大倉組商会を設立。朝鮮貿易やインド貿易に進出し目覚ましく発展した。