今読むべき優良ビジネス書が
すぐ見つかり、読んだ本を
しっかり自分の知識にするサイト

本を検索する

カテゴリーから探す

人気のタグ

お知らせ


Android無料アプリ配信中
2013/01/30更新

学び続ける力 (講談社現代新書)

  • 池上 彰
  • 発刊:2013年1月
  • 総ページ数:192P

112分

2P

  • 古典的
  • トレンドの
  • 売れ筋の
  • すぐ使える
  • 学術系
  • 感動する
  • ひらめきを助ける
  • 事例が豊富な

対象読者:

アマゾン詳細ページへ

学ぶことは生きること

教養を持つという事は「よりよく生きる」ということではないか。社会で力を発揮する事ができ、よく生きること。それに資するものは、現代的な教養と言って良いのではないか。

例えば、哲学を学ぶことが教養と言えるのは、それは自分がどう生きるかということを知るために、過去の先人たちがどのようなことを考えたかを知る。それは即ち、「どう生きるべきか」ということにつながってくる。

かつての難しいことをたくさん知っているのが教養という考え方や、高踏的な学問や思想は、今の時代には、非常に限られた狭い範囲のものになってしまっていて、かつてほど大きな影響力を持たなくなっている。

その人の教養とは、単に知識のレベルだけでは測れない。「教養人」というと、古今東西の様々な知識を身につけた人というイメージがある。しかし、そのような狭い意味のインテリではなくても、長い人生を経て、味わい深いことを言う人、考えさせる発言をする人に、時々出会う。そのたびに、こういう方こそ真の教養人だと思う。

東京工業大学リベラルアーツセンターは、文字通り、現代の教養を学生に伝える組織である。センター長の桑子敏雄教授は、リベラルアーツについて、こう語りました。

「リベラル=自由、とは与えられた問題の解を出すのではなく、自ら自由に問題を設定し、新しい解を探していくことである。」

教養を得るとは究極的な自由を獲得することであり、それは即ち自らの意志で社会に関わっていく、ということにつながるのだと。大正や昭和の時代に「教養がある人」というのは、たくさん本を読んでものをよく知っている人のことを指したが、今の時代は、コミットメントしたり、エンゲージメントしたり、様々な実践能力も兼ね備えていないと、教養があるとは言えない。

一方、上田紀行教授は、こう語りました。

「一見役に立たない『教養』を学ぶ時間を削り、専門科目だけを徹底的に習得させると、学生たちは『できる人間』になるが、この『できる人間』とは、『決められた枠組み』の中で『できる人間』のことである。価値観が多様化て、『枠組み』そのものをどう決めるかが問われる時代には、『決められた枠組み』の中だけで『できる人間』や『専門家』は、新しい時代には対応できない。問題設定そのものを自らしなければならない」

教養=リベラルアーツの、リベラルとは、様々な枠組みから自由になることである。では、どんな枠組みからどう自由になることなのか。まずは、それを考えること自体が教養の第一歩である。変化の激しい時代、教養こそが次の解を出すための実践的な道具になり得る。

ゆえに教養を身につけたからには、傍観していては駄目で、社会に対して、積極的にコミットメントする、参加する、関わっていかなければ、真の教養とは言えない。