鎖国メンタリティと日本人
鎖国的な時代は、日本が時代の危機や転換期に見舞われた時に現れ、繰り返されてきた。鎖国が繰り返される背景を探っていくと、日本人特有の精神性「鎖国メンタリティ」に辿り着く。
鎖国メンタリティが弱まった時代は、日本が諸外国との交易や文化の吸収を求めて海外に出て行くようになり、逆にそれが強まると、国内に引きこもるようになる。鎖国メンタリティが強い時代は、国内的には平和で安定した時代が多く、新たな成長や拡大を求めるよりも「内向き」な成熟を求め、健康で幸福な生活を営む工夫が積み重ねられてきた。
この鎖国メンタリティはそれぞれの時代において、政治や経済、社会のあり方、個人の生活など多岐にわたり、深い影響を与えてきた。これが「鎖国シンドローム」と呼ぶ日本人の心象風景である。
成長から成熟へ
日本の実質GDPの成長率の推移を見ると、1956〜73年度で平均9.1%、80年代後半まで平均4.2%、91年度以降20年で0.9%まで落ち込んでしまう。これは明らかに高度成長の時期が終わったという事だ。
だが、この事は日本が世界1、2の豊かな国になった事を考えれば、むしろ当然の事だ。2011年の日本の1人当たりの名目GDPは4万5920ドルと世界18位、人口5000万人以上の国では米国に次ぐ。いわゆる「モノ」はあふれ、人々の関心は次第にモノから環境や安全、健康という事に移り始めているのだ。
「成熟社会」という視点で日本を見ると、日本は世界の先頭を走っている。環境、安全、健康のどれをとっても日本は世界のトップクラスである。そろそろ私達は日本を再評価し、長い間持ってきた欧米コンプレックスを捨てるべきではないか。多くの日本人は成長シンドロームから抜け出ていない。今更、発展途上の中国やインドと競争しても始まらない。今、必要なのは成長から成熟へのパラダイムシフトである。
成熟は決して停滞でも閉塞でもない。成熟を受け入れ、これを楽しむ事が必要なのではないか。江戸後期も人口は増加しなかったが、その安定の中で文化を深化させて、成熟を楽しんでいった。
鎖国願望が高まっている
鎖国シンドロームの傾向が急速に強くなってきている。鎖国シンドロームといっても、江戸時代のように、ほぼ完全に鎖国をするという事ではない。外に積極的に出る事をしないという事だ。
社会が成熟するにつれ、こうしたメンタリティが強くなるのはごく自然だ。今の日本は、あくせく外国に出ないで、ある種の鎖国をする事で、豊かな生活を維持できると考えられる。鎖国メンタリティは、ある意味では、グローバリゼーションに対するアンチテーゼでもある。
「成長から成熟へ」、人々のメンタリティが変われば、日本ほど良い国はない。