「偽善者」になるな、「偽悪者」になれ
今の世の中がつまらなくなっているのは「善人」が多いからだろう。人を傷つけない人、不愉快にさせない人は、確かに優しい人間のように思える。しかし、それは自分が嫌われ者になりたくないだけの事が多い。マイナスの要素がない代わりにプラスの要素もない。それではただの「退屈な人間」と言えるだろう。
世の中には100人の知り合い全員に嫌われたくないと思う人もいれば、99人から嫌われてもたった1人から徹底的に愛されればいいと思う人もいる。前者は「偽善者」であり、後者は「偽悪者」だ。広く浅く好かれるより、たった一人に深く愛されれば、それで人生は満たされるものだ。
ただの「いい人」は消耗品で終わる
今の時代は、「いい人」を演じていても何のメリットもない。そういった人間は、都合のいい人であり、無能の代名詞であり、消耗しつくされてしまう。今までなら、会社では「右へならえ」の精神の人間であれば出世できた。だが、今は真っ先にリストラ要員となるだろう。
課題も、目標も、締め切りもいらない
今の若い世代は、朝から晩まで働き詰めにもかかわらず、残業代は上限が決められ、下手をするともらえない。10年前に比べると平均年収が200万円も減ったと言われている。その上、35歳で昇進は頭打ちとなり、その段階で平社員だった人は、その先一生、平社員のままで終わることもある。早い段階で将来まで決まってしまうのだ。
このような時代は、未来に期待しないのが一番賢明な生き方だろう。リーマンショックや東日本大震災など、明日には何が起きるのかわからないのに目標を立てても意味はない。これからは「場当たり的に生きる」のをおすすめする。自分に課題を課さず、締め切りも設けない。もっとゆるく生きればいいのだ。
可能性を開花させる場所を間違えるな
人には無限の可能性があると言われている。だが、そんな「きれいごと」に騙されてはいけない。人の可能性は有限だ。育った環境でその人の将来の9割は決まる。政治家の子供の多くは政治家になっているし、芸能人の子供の多くは芸能人になっている。
自分の親がビジネスパーソンなら、ビジネスパーソン以外になるのは難しい。但し、可能性をすべて否定している訳ではない。可能性を開花させる場所を間違えるなと言いたいのだ。
やみくもに努力をするのは二流の人間だ
一流の人間とそうでない人間の違いは、何を努力すればいいのかがわかっているか否か、という点につきる。一流の人間は、最短で目的を達する方法を理解し、そのための努力は惜しまない。高度経済成長期のように、何度も挫折を繰り返しながら成功をつかみ取る時代は、もう終わった。