影響力の本質
メディアには、そこでなされた予言自体を自己実現させてしまう傾向があり、この「予言の自己実現能力」こそが、メディアへの畏怖の念と、影響力の源泉である。
メディアで報じられた記事というものは、その時点では、ある事実状況を取りまとめ、それを解釈した上での「情報」に過ぎない。しかし、それが「信頼されるメディア」に掲載されると、その情報自体が、現実の社会において「独り歩き」を始める。結果として、企業の経営破綻の懸念問題であれば、取引先や顧客が逃げ、社員の退職が相次ぐことになる。つまり、予言が自己実現してしまう。
メディアの「影響力」「信頼性」「ブランド価値」の本質とは、この予言の自己実現能力に対するものである。大手ジャーナリズムの世界で「事実確認」の重要性が語られるのは、このような影響力について、ネットメディアの一般的な水準よりは、よく自覚されているからである。こうした情報発信の態度こそが、ユーザーから見た時の、そのメディアへの信頼感の根拠であり続けてきた。そして、広告的に言えば、単に「クリックいくら」といった短期での費用対効果ベースに還元されない広告価値を認められ、プレミアムな広告メディアとして存在意義を発揮してきた本質と言える。
ネットメディアの立場から考えれば、「間違っても後から直せばいい」と居直っていると、いつまで経っても、「クリックいくら」というコモディティ化された広告スペースの量り売りから脱却できない。
メディアの品質
検索エンジン、スマートフォン、ソーシャルメディアという3点セットの浸透と普及は、全てのメディアを断片的に切り刻み、コンテンツは、その作り手が想定した文脈などは無視して、好き勝手に、ユーザーから「つまみ食い」されるものへと変化していく事を要求している。デジタル化(=ノンリニア化)によって、メディア消費は全体として、どんどん即物的で刹那的で断片的なものへと変化している。
ノンリニアなメディア構造は、全ての記事コンテンツで、即物的に読者の「ウケ」を取れというプレッシャーを作り手にかけている。しかし、そのプレッシャーに過剰に適応して、読者の興味に迎合した記事ばかりを均一に量産してしまうことは、長期的には、読者からのリスペクト獲得の機会を捨てることにつながる。そして、読者から作り手への尊敬・信頼・畏怖の念を欠いたメディアは、焼畑農業的なPV至上主義に陥り、次第にやせ細っていく。
メディア・ビジネスにおいて重要な要素、メディアをブランド化するにはどうすればいいか。読者から見た「メディア品質」とは、作り手を信頼できるか、という問題とイコールになる。叩き売りされないメディアになるには、編集者が熱き想いを読者に問い、畏怖されつつも、共感させることが出発点となる。