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2012/11/14更新

結局、どうして面白いのか ──「水曜どうでしょう」のしくみ

170分

7P

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物語の二重構造

『水曜どうでしょう』の中には、「物語」と「メタ物語」という2つの物語が同時に流れている。「物語」とはいわゆる番組の「企画」に当たるもの。例えば、原付バイクで西日本を制覇するとか、夏野菜を使って料理を作るとか、そういうものが含まれる。

『水曜どうでしょう』の面白さの一つの源泉は、この「物語」の目標設定にある。例えば、サイコロを振ってその出た目によって行き先を決めて、最終的には札幌に帰る、などという企画の設定は、聞いただけで見ている人の中でストーリーが動き出しそうな面白さがある。

そして、『水曜どうでしょう』には、もう一つの「メタ物語」が流れている。「メタ」とは、「より上位の」といった意味で「物語についての物語」。つまり、企画である「物語」を撮りに行っている男たちが、企画を成立させるために四苦八苦したり右往左往したりする物語である。

この「メタ物語」は目の前で見ているのに意識されない。一見すると『水曜どうでしょう」は「物語」が破綻するのが面白さだという風に見えるが、実は「物語を撮っている」という状況そのものが、すでに面白い。「物語」的に成功したらそれはそれで面白いし、「物語」が失敗したら、「物語が失敗しました」ということを撮ることには成功する。

結局、なぜ面白いのか

『水曜どうでしょう」は、二重に走っている物語をそうとは捉えずに見る事で、その中に妙な生々しさを感じる。しかし、それがどうしてかがわからない。

二重の物語があるというよりは、物語が一つで、ぐだぐだと物語を進行しているためにそこからはみ出してしまうものがある、という風に受け取りがちになる。そうすると、視聴者と「メタ物語」は「見る」方の立場として、同じ層に入ってしまうことになる。または、視聴者が「メタ物語」の世界に飛び込んでいっている。この感覚になることで、視聴者自身が、一緒に撮影しているように思える。

この番組では、番組への参加感が生じるように構造化されている。この距離感の錯覚が、視聴者が感じる「身内感」を生み出し、なぜかホッとするという性質につながっている。

そして、「水曜どうでしょう」の面白さを人に説明することが難しいのは、私たちは「水曜どうでしょう」を見ているのではなく、「体験している」からである。「水曜どうでしょう」のファン同士がその話をしている時は、旅の思い出話をしている。だから、一緒に旅していない人とは思い出話ができないように、その面白さを説明しにくいのである。