ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が、iPS細胞ができるまでを書いた本。
医師を志した動機や、研修医時代の挫折、うつ病の経験から、iPS細胞の発見の過程まで、よくわかる内容になっている。iPS細胞のしくみなど非常にわかりやすく解説されており、読みやすい内容になっている。
■医師を志す
父は、ミシンに使われる部品を製造する町工場を経営していた。母親も工場を手伝っていた。中学生の頃から、父に「医者になれ」とよく言われるようになった。町工場の経営はその時々の景気に左右されがちで、父の工場も浮き沈みが激しかった。お洒落な住宅街に住んだこともあれば、東大阪の工場の二階に住んでいたこともある。父は、こんなしんどい仕事を息子に継がせたくないと考えていたのだと思う。
数学と物理が好きな科学少年だった。SF小説もよく読んでいたし、機械いじりも好きだった。研究者へのあこがれも人一倍強かった。そんな頃、徳田虎雄先生が患者本位の医療を目指した新しい仕組みの病院を作られた。徳田先生の著書などに影響を受け、意志を志すようになった。
中学、高校で柔道、大学で柔道とラグビーをやっていたので、骨折をすることがしばしばあった。骨折するたびに整形外科に通っていたこともあり、整形外科医になりたいと考えるようになる。ただ研究者への憧れもあり、基礎医学を選ぶか、進路を迷った。
■iPS細胞ができるまで
奈良先端大に助教授と採用され、自分のラボを持てるようになったことで、iPS細胞の研究への道が開かれた。この時に掲げたビジョンが「ヒトの胚を使わずに、体細胞からES細胞と同じ細胞を作る」というもの。
ヒトES細胞には、人間になるはずの胚を取り出して培養するという倫理的問題に加え、元となる胚の持ち主のDNAが残っていることから免疫拒絶問題がある。この大きな障壁を越えるため、患者さんの皮膚などの細胞からES細胞に似た細胞を作ろうと考えた。
これはいったん分化した細胞を、元の状態に戻すということ、つまり「初期化」を意味する。これは実現困難な課題であることは明らかであったが、少なくとも理論的には可能であることはわかっていた。
ヒントは、マウスのES細胞と体細胞を融合させて、体細胞が初期化されることがわかったことにあった。そこで「皮膚の細胞もES細胞も設計図は同じで、両者の違いは挟まれたしおり(転写因子)にある。ES細胞のしおりを見つけだし、それを皮膚の細胞に送り込めば、皮膚の細胞を初期化してES細胞に似た万能細胞に変えることができるのではないか」と仮説を立てた。
そこでES細胞で特異的に発現している遺伝子を一生懸命探した。無料でWEB上で公開されている、遺伝子のデータベースを利用した。調べ始めた頃は、ヒトES細胞に関する遺伝子情報はほとんど登録されていなかったが、その後アメリカの国立生物工学情報センターが、遺伝子リストを公開したことで、数万の候補を100個程度に絞ることができた。
2004年までに、ES細胞にとって特に大切な遺伝子をなんとか24個まで絞り込んだ。それまではマウスのES細胞を使っていたが、ヒトES細胞を使う必要があると考えるようになった。奈良先端大には医学部がなく、倫理委員会がないため、ヒトES細胞を扱えなかった。そんな時に、京都大学再生医科学研究所から話があり、京大に移籍することになった。
24個の遺伝子を1個ずつ皮膚の細胞に送り込んでみた。最終的に4つの遺伝子が残った。この4つが欠けた時には、ES細胞に似たものができなかった。ES細胞のような増殖力と分化多能性を持つ細胞。この新しい細胞をiPS細胞と名付けた。
著者 山中 伸弥
1962年生まれ。世界に先駆けてマウスおよびヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立に成功し、再生医学に新たな道を切り開いた。2009年ラスカー賞受賞、2012年ノーベル医学生理学賞受賞。
著者 緑 慎也1976年生まれ。ジャーナリスト 出版社勤務、月刊誌記者を経てフリーに。 科学技術を中心に取材・執筆活動を続けている。
週刊 ダイヤモンド 2012年 10/27号 [雑誌] コラムニスト 林 操 |
エコノミスト 2012年 11/20号 [雑誌] 女優 中江 有里 |
404 Blog Not Found 小飼 弾 |
日本経済新聞 |
ビジネスブックマラソン 土井 英司 |
週刊 ダイヤモンド 2013年 1/19号 [雑誌] 医学ジャーナリスト 松井 宏夫 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はじめに | p.1 | 2分 | |
第1部 「iPS細胞ができるまで」と「iPS細胞にできること」 | p.13 | 57分 | |
第2部 インタビュー | p.139 | 23分 |