人生を無駄にしないための話。何事も自分の頭で考え、想像し、工夫して生きることが大切であると説き、何でも人と同じことを求める現在の教育などに苦言を呈している。
精神の貧困に陥るなというメッセージが込められた1冊。
■「乗り越える力をつける」教育を
教育とは、多少なりとも悪い状況を与えて、それを乗り越えて行く能力をつけさせることであるが、今は良い状況を与えるのが教育とされている。悪い状況、もっと言えば修羅場を経験する意味というのは、肉体や筋肉と同じように精神に負荷をかけることにもある。そうでないと、人間として使い物になる強靭さが備わらない。
それは政治の世界でも同じで、数々の修羅場と権力闘争をくぐり抜けてきた人と、単に成績優秀で政策に通じた人とでは、危機における能力が全く違ってきて当然である。何をどうやって乗り越え、あるいは回避して行くのか、感覚的につかむ必要がある。
物事には両面性があり、一面だけを見て否定したり、教育したりするのは大きな誤りである。日本の教育は「あなた自身の頭で考える」という部分が抜け落ち、表層的なものになっている。戦後の義務教育は子供たちに自分で考える力を教えてこなかった。他人と違うことを考えると試験や出世で減点されることが、さらに拍車をかけた。
■他人は簡単にわからない
本来「個性」は悪い言葉ではないが、私は個性的でしょうと表面的にアピールするのは、単に他人のことを考えられない、自分中心で他者が希薄ということ。自分が他者をそれほど簡単にわかる訳がないと自覚することが必要である。
世の中の常識というものは、自分があるからこそ認められる。自分と常識とが違っていることを十分にわかっているからそれに従える。大勢の人が言うことだから価値があって正しいと考えるのは間違っている。
人間は、基本の「基」にぶつかった時に、ある覚悟ができる。そこでは挫折や摩擦や葛藤がつきものだが、それがないと得られる対価もなく、ひたすら周りと同じように考える人間になってしまう。
■本当の教養とは
教養とは、その人間の肝の据わり方だとも言える。他人にどう思われようと、自分は自分なのだという強烈な個を備えながら、大切なことを静かに語れる。肝の据わった一言、古今の哲学者の言葉、真を突いて笑わざるを得ないようなユーモアなど、ふとした時垣間見せる、人間総体としての教養と魅力というものは確かにある。それは、天性の素質と、勉強によって後天的に取り入れられたものとの2つの要素の果実である。
国会の質問や答弁にせよ、会社の中の意見の対立にせよ、分野や年代性別を問わず社会全体から個性とユーモアが消えて、つまらない理屈ばかりになって来た。自分の考えばかり声高に言うのは無教養というより野暮である。
そもそも相手の何かを批判する時は、翻って自分の中にも同じものが含まれていることを理解する必要がある。それが自分を笑いものにできるユーモアに通じる。自分をきっちり見ることが、真実を見抜く力になる。
著者 曽野 綾子
1931年生まれ。作家 同人誌『ラマンチャ』『新思潮』を経て、山川方夫の紹介で『三田文学』に書いた「遠来の客たち」が芥川賞候補となり23歳で文壇デビュー。 24歳で『新思潮』同人の三浦朱門と結婚。以後、次々に作品を発表。
THE 21 (ざ・にじゅういち) 2012年 09月号 [雑誌] ブラマンテ 代表取締役 田島 弓子 |
週刊 東洋経済 2012年 4/14号 [雑誌] |
日経ビジネス |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はじめに | p.3 | 1分 | |
第1章 人間本来の想像力とは | p.9 | 14分 | |
第2章 「乗り越える力」をつける教育 | p.34 | 11分 | |
第3章 ルールより人としての常識 | p.55 | 11分 | |
第4章 すべてのことに両面がある | p.75 | 13分 | |
第5章 プロの仕事は道楽と酔狂 | p.98 | 11分 | |
第6章 ほんとうの教養 | p.119 | 14分 | |
第7章 老・病・死を見すえる | p.145 | 12分 | |
第8章 「人間の基本」に立ち返る | p.167 | 14分 |