ケニア・ナッツ・カンパニーの誕生
舞い戻ったケニアでは、何をすればいいのか全く思いつかず、毎日天井を見上げながら、途方に暮れていた。出歩いたり、部屋で考えたりして過ごすうちに、いろいろとアイデアが浮かんできた。リヤカーを作ろう、鉛筆を作ろうなど、企画書を作り、政府機関などを回った。動いて、人と話すうちに、また現地で必要なものが見えてきて、どんどん新たなアイデアが浮かんだ。
気合いを込めて、諦めず、根気強く動き回り人と話すうちに、日本側から考えに賛同してくれるところが出てきた。最初は鉛筆製造を手がけた。日本のトンボ鉛筆にいた人がケニアに来て、一緒にやってくれることになった。
ある日、鉛筆の軸に使う材木のことを調べる目的で、ケニアの植物研究所を訪ねた。所内には様々な植物が実験的に植えられており、その中で、実を付けたマカダミアの木に目が留った。そのマカダミアナッツを口に含むと、香ばしく、オイリーな風味が口に広がった。「これだ」と閃いた。
マカダミアはオーストラリア原産だが、イギリス人がハワイからケニアに試験的に持ち込んだものがいくらかはあった。しかし、どう産業化してよいかわからず放置されていた。
企画書を作り、農業省に開業申請した。企画書の中では、従来のケニア人が大農場で農業労働者として働く欧米型の開発ではなく、「生産者主体の農業開発」を重視。農民が小農スタイルでオーナーとして原料供給の芯となり、現金収入を得る事で、農村の経済基盤を確立していく方向を強調した。
マカダミアナッツのサンプルを持って、日本の明治製菓に相談しに行き、当時の社長と会って話す。そこで、開業資金として5年分のナッツ代を前払いしてもらえるように頼み、食品加工のプロも派遣してもらえることになった。こうしてケニア・ナッツ・カンパニーはわずか数名のスタッフで操業を開始した。
人材こそ大切
会社経営において一番大切なのが人材である。最初の段階から、現地の人と一緒にやってきたが、学んだことは、採用時、こちらの期待値はゼロからスタートすべきということ。次第に育ってくれればいい。
創業当時は、募集をかけてもほとんど誰も来てくれなかった。そこでやったのが、ビジョンを示すことであった。そうすると、共感した人材がくる。ビジョンは人に夢を与えて前向きにする。会社の目指すビジョンには、ちゃんと一人の人間としての自分も含まれているということを、言葉や報酬という形で確認すると、皆の中に参加意識と主体性が出てくる。
良い人材、良い商品、正しいマーケティングが整い、会社は成長していった。最終的に4000人の社員を抱える規模になったが、株主には一度も配当しなかった。利益はすべて再投資と、従業員還元に回し、組織を強固に大きくしていった。