アフリカで起業し、マカダミアナッツの世界5大カンパニーの一つに育て上げた日本人経営者が語る起業ストーリー。
■起業するまで
東京外国語大学で経済政策を研究するゼミに入り、卒論のテーマを「ガーナの経済政策」にした。卒論を書くうちに、現場に行って自分の目で見なければと思い、ガーナ大学に行こうと思った。
入学したガーナ大学附属アフリカ研究所では、ココアを生産する農村へフィールドワークに行き、そのレポートを書いたり、まじめに勉強した。
2年半のガーナ留学を終えて日本に戻り、設立間もない東レとケニア政府の合弁企業の東レ・ミルズに入った。日本から送られる糸を織って生地にし、染色やプリントを施して加工するのが、仕事であった。東レ・ミルズでの5年間、工場経営、組織の動かし方、工場機械のメンテナンスなど多くのことを学んだ。
東レ・ミルズとの5年間の契約を終え、32歳で会社を辞めた。それから10ヶ月ちょっとは、今で言うフリーターのような暮らしをした。仕事は建築資材の運搬、溶接、町工場の手伝いなど、いろんなことをやった。1ヶ月ぐらいは、真剣にパチンコで食おうと思って、毎日有楽町の駅前のパチンコ屋に通った時期もあった。
ある時、実家の妻に財布の中に50円しか入っていないのを見られ、財布に結構なお札を入れてもらう。これではダメだと、ケニアにもう一度渡ることにした。
■アフリカが教えてくれたこと
アフリカで言われる格言に、「ウォリー・イズ・ア・ミスユース・オブ・イマジネーション」というのがある。日本語で「心配というのは想像力の誤った使い方だ」となる。
アフリカの人は必要以上の心配はしない。目の前にある現実、今を生きるということを最大の関心事にして暮らしている。つねに「まあ、なんとかなるさ」という態度である。
イマジネーションの誤用は未来を暗くする。想像力というものは、もっと明るく積極的な方向に使われるべきもの。そうすれば、直感を信じて人は前に進むことができるし、くよくよすることも減る。
心配をするなら、他人の心配をするべき。一度、他人の心配、世の中の心配をすると、個人的な心配と社会的な心配は、相反していることがわかる。
■シンプルであることが最も深い
「志は高く、目線は低く」。志を高く清く持って、目線、すなわち日々の生活態度、財産などは低くする。それがあるべき姿だし、その方が長らえることができる。
イデオロギーではくくれない、人間個々の多様性を大事にすること。みんながキラキラした破片になり、それらが集まって一つになり、国とか社会になって大きく輝けばいい。
破片同士が触れ合えば、摩擦が起きる。破片たちが動きながら、ぶつかって火花を散らして、一つになっていく。それは物理の世界では当たり前。そういう物理的でシンプルな世界に、人々は情感やエモーションの部分を入れ過ぎるところがある。情報を伝えようとして言葉にするが、言葉は本質にフィルターをかけてしまう。
キラキラした破片は、フィルターで色を失うと、集めてもどす黒い闇のような色になってしまう。シンプルであるということが最も深い。人は何でも複雑にしてしまう。会社の経営も人との関わりも、極力シンプルに。
著者 佐藤芳之
1939年生まれ。ケニア・ナッツ・カンパニー創業者 1963年ガーナ大学に留学。1966年から5年間、ケニア・東レ・ミルズにて現地勤務。1974年、「ケニア・ナッツ・カンパニー」を起業。2005年、ケニアでバクテリアを利用した公衆衛生事業会社「オーガニック・ソリューションズ・ケニア」を設立。
帯 作家 村上 龍 |
週刊 ダイヤモンド 2012年 8/18号 [雑誌] |
日経ビジネス |
エコノミスト 2012年 9/11号 [雑誌] 紀伊國屋書店 新宿本店 竹添 嘉子 |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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はじめに 桁外れにスケールの大きな日本人 | p.1 | 2分 | |
序章 風の吹き始める場所 | p.15 | 17分 | |
第1章 アフリカへ | p.45 | 18分 | |
第2章 ケニア・ナッツ・カンパニー | p.77 | 23分 | |
第3章 アフリカってところは! | p.117 | 10分 | |
第4章 失敗から学ぶ | p.135 | 15分 | |
第5章 アフリカが教えてくれたこと | p.161 | 9分 | |
第6章 さらに先へ | p.177 | 9分 | |
第7章 新たなるチャレンジ | p.193 | 8分 | |
終章 アフリカから日本を想う、日本を憂う | p.207 | 6分 | |
おわりに | p.218 | 3分 |