世界最大のミュージック・チャンネル「MTV」の元会長が、MTVの黎明期から、やがて巨大企業へと発展していった過程を語っています。どのような変遷を経て、事業が拡大したのかがわかり、事業立ち上げの参考となる1冊。
■MTVヨーロッパの課題
1987年、米国でセンセーションを起こしたMTVは、拡大戦略を開始した。当初、MTVヨーロッパの100万人に満たない加入者の大半は、ヨーロッパでは数少ないまともなケーブル送信システムがあるギリシャとオランダの住人で、広告の全収入は20、30万ドル。アメリカでこそMTVはセンセーショナルとなったが、ヨーロッパでのMTVの知名度は低かった。
ヨーロッパの多くの地域では、ケーブルのインフラが整っておらず配信など無理だった。ヨーロッパ全土に向けた宣伝というコンセプトも存在しないので、見込みある広告市場がなく、長期的な戦略も人員も全く足りなかった。一つのチャンネルでヨーロッパ全土の注目を惹くというやり方も正しいか迷いがあった。
しかし、ビジネスプランを疑うことで時間を無駄にするぐらいなら、それを受け入れようと決意した。MTVヨーロッパのビジネスについて、分析した結果、3つのことに集中する必要があった。
①ヨーロッパの若者の好みの中でも特に代表的なものに訴えかける番組をつくる
②ヨーロッパ全体で配信を獲得する
③収入を生む
MTVネットワークス・インターナショナルは、20年以上の間に巨大メディアネットワークへと変貌した。かつてはオランダやギリシャなどヨーロッパで2、300世帯に一つのチャンネルを放送するのみだったが、いまや175のローカルのケーブル局や衛星放送、地上波チャンネル、約400のデジタルプラットフォームを扱い、163カ国20億人以上の視聴者に番組を届けるまでに成長した。
MTVは、グローバルなアイデンティティーを維持しつつ、現地の文化に応えることに、成功してきた。「ローカルに考え、グローバルに行動する」というコンセプトは、一般的になったが、それを最初に成功させたのがMTVである。
著者 ビル・ローディ
元MTVネットワークス・インターナショナル会長 米陸軍士官学校ウェストポイント卒業後、ハーバードのビジネススクールを修了し、HBOを経て1989年MTVに入社。同社における22年のキャリアの中で、米国内のケーブルテレビにすぎなかったMTVを世界165カ国に200チャンネルを持つグローバル・ネットワークに成長させた。 退任後は、アメリカ・エイズ研究財団、世界ワクチン免疫同盟などの組織との関わりの中で、社会活動に積極的に携わっている
日本経済新聞 |
帯 ミュージシャン ジョン・ボン・ジョヴィ |
帯2 タイム・ワーナー会長 ジェフ・ビュークス |
章名 | 開始 | 目安 | 重要度 |
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第一章 ボーン・イン・ザ・USA | p.15 | 35分 | |
第二章 サバイバー | p.55 | 29分 | |
第三章 マネー・フォー・ナッシング | p.88 | 30分 | |
第四章 モー・マネー・モー・プロブレムズ | p.122 | 33分 | |
第五章 ゲット・ザ・パーティ・スターテッド | p.160 | 35分 | |
第六章 ウィー・ウィル・ロック・ユー/ウィー・アー・ザ・チャンピオン | p.200 | 45分 | |
第七章 ハウ・トゥ・セイヴ・ア・ライフ | p.251 | 27分 | |
第八章 ホエア・ドゥ・ウィー・ゴー・フロム・ヒア? | p.282 | 24分 | |
第九章 ザ・ビギニング・イズ・ジ・エンド・イズ・ザ・ビギニング | p.310 | 8分 |