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2012/07/21更新

下山の思想 (幻冬舎新書)

137分

4P

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上から下へ

「民」という字の語源には、残酷な意味がある。

「目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて見えなくした奴隷を表す。物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる。」

国民の民とは、そういう意味である。国は、民の目に針を刺す存在である。「知らしむべからず」というのは、古代から国家統治の原点だった。

あらためて民という字の背後にある歴史を振り返ってみると、民主主義というのはすごい思想である。君主主義と民主主義。つい何十年か前までは、私たち日本人は絶対君主主義の時代に生きていた。

君主主義から民主主義への移行のかたちには、上から下へ、という動きがある。下りる、降りる、下る、これらの言葉には、どこか負の感覚がともなう。プラス・マイナスでいえば、圧倒的にマイナスの方だろう。下野、下品、下流、下等、下賎、下郎など「下」のつく表現には、ろくな言葉がない。

要するに「下から上」への動きはプラスであり、「上から下」への行動はマイナスと見られている。

下山の思想

ここに、下山、という言葉がある。登山に対して下山というプロセスは、世間にひどく軽く見られている。軽視というよりも、ほとんど無視されている。

戦後60数年、私たちは上を目指して頑張ってきた。いわば登山することに全力をつくしてきた。しかし、登山という行為は、頂上を極めただけで完結する訳ではない。私たちは、めざす山頂に達すると、次は下りなければならない。頂上を極めた至福の時間に、永遠にとどまってはいられない。

登山ということが、山頂を征服する、挑戦する行為だとする考え方は、すでに変わりつつあるのではないか。登山と下山とを同じように登山の本質と見なすのは当然のことである。そして今、下山の方に大きな関心が深まる時代に入った。

下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価する。下界を眺める余裕も生まれてくる。自分の一生の来し方、行く末をあれこれ思う余裕もでてくる。
山を下りれば、日常が待っている。そこでしばし体を休め、また新しい山行を計画する。その過程は、人間の一生に似ていないだろうか。

私たちの再生の目標は、どこにあるのか。再び世界の経済大国という頂上を目指すのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないか。

「なぜ世界の一位でなきゃいけないんですか」とは、有名な言葉だ。対して、「トップを目指さずに上位に食い込めるものかよ」という批判の声があったことも知っている。しかし、今私たちは、一位とか、五位とかいう物差しとは別な視点にたつべきではないか。

私たちは、新しい社会を目指さなければならない。経済指数とは別の物差しを探す必要がある。