既得権を強める商店街
第二次世界大戦後、物価の高騰や闇物資の流通で、再び零細小売商が溢れかえった。これは消費者運動を引き起こしたが、政府は小売商を保護した。政府には、小売業を保護することで、安価な労働力を製造業に回すという政策意図があった。以降、商店街は、急速に整備されていくことになる。
戦後まもなくから、零細小売商は行政に対して規制・保護を求めていた。百貨店法、中小企業団体法など矢継ぎ早に実現し、商店街は既得権を強めていった。
スーパーとの対立
こうした零細小売商に対する保護政策に対し、国民生活の観点から、その非合理性を批判したのがスーパーマーケットであった。1960〜1970年代にかけてのスーパーの大量出店は、商店街との対立を深めた。
流通機構の近代化が物価対策の一面として重視されねばならない。しかし、結局、高度経済成長期は、零細小売商の権益を奪う政策は行われなかった。この背景には、零細小売商が、雇用を吸収していたという論理があった。
商店街の崩壊
1980年代、政府はアメリカの圧力の中、小売規制を緩和することで、消費者の利益となるような消費空間を実現しようとした。零細小売商は、規制緩和に抵抗できず、その代替措置として公的資金に頼ってしまった。零細小売商の生き残り戦略は完全に裏目に出てしまい、彼らの存在の正当性も同時に失われてしまった。
彼らは公的資金の要求に加えて、コンビニ化という生き残りを模索し始める。しかし、この戦略が商店街を内側から崩壊させた。
商店街が崩壊した理由
①商店街が、恥知らずの圧力団体になったこと
「商店街」という理念は、小売商の中間層化という大きな目的があった。しかし、中間層化のためにあった規制は、次第に消費者運動と政治的な対立を繰り返すことで、イデオロギー的に解釈されるようになった。また、その権益を維持するために、保守政党と政治的な結託を見せ、その存在意義を見失わせた。
②閉ざされた権益が、商店街と規制の関係を見失わせた
小売店は家族経営が前提であったため、免許などの権益は親族間で移譲された。外部から規制産業に入る事ができず、小売店のイノベーションを妨げた。権益の掘り起こしが進む中、商店街関係者は、国から資金的援助をいかに引き出すかに関心を持つようになり、一部の小売商はじり貧状況から抜け出すため、コンビニ経営に乗り出した。このコンビニという業態こそ、専門店を一つひとつの地域につくるという「商店街」の理念を内部から浸食した。