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2012/06/02更新

それをお金で買いますか――市場主義の限界

293分

6P

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あらゆるものが売買される時代

我々は、ほぼあらゆるものが売買される時代に生きている。

・刑務所の独房の格上げ:1晩82ドル
・インドの代理母による妊娠代行サービス:6250ドル
・アメリカ合衆国へ移住する権利:50万ドル
・絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利:15万ドル
・主治医の携帯電話の番号:年1500ドル〜

過去30年にわたり、市場及び市場価値が、かつてないほど生活を支配するようになってきた。この社会において、市場が演じる役割を考え直す必要がある。市場をあるべき場所にとどめておくことの意味について、公に議論する必要がある。この議論のために、市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。

市場の道徳的限界を議論すべきである

すべてが売り物となる社会を心配する理由は次の2つである。

①不平等である
すべてが売り物となる社会では、貧しい人たちの方が生きていくのが大変である。お金で買えるものが増えるほど、裕福であることが重要になる。
この数十年間が貧困家庭や中流家庭にとって厳しい時代だった理由は、貧富の格差が拡大しただけでなく、あらゆるものが商品になり、お金の重要性が増し、不平等の痛みが酷くなったためである。

②腐敗を招く
生きていく上で大切なものに値段をつけると、それが腐敗する恐れがある。例えば、奴隷制。人間の価値は、尊厳と尊敬に値する人格として評価すべきであり、利益を得るための道具とみなしてはならない。

我々は、健康、教育、家庭生活、自然、芸術、市民の義務などの価値をどう測るべきかを決めなければならない。これらは道徳的・政治的な問題であり、単なる経済問題ではない。

現代の政治には、市場の役割と範囲にかかわる議論が欠けている。市場の道徳的限界をめぐる議論を通じて、市場が公共善に役立つ場合とそぐわない場合を、社会として決めることができる。

我々は考えの不一致を恐れるあまり、自ら道徳的・精神的信念を公の場に持ち出すのをためらう。これを放置しても市場が答えを出すだけである。市場をその持ち場にとどめておく唯一の方法は、我々が尊重する善と社会的慣行の意味について、公の場で熟議することである。

民主主義には完璧な平等が必要な訳ではないが、市民が共通の生を分かち合うことが必要なのは間違いない。大事なのは、出自や社会的立場の異なる人たちが日常生活を送りながら出会い、ぶつかり合うこと。それが互いに折り合いをつけ、差異を受け入れることを学ぶ方法だし、共通善を尊ぶようになる方法である。

結局のところ市場の問題は、我々がいかにして共に生きたいかという問題なのである。我々が望むものは、何でも売り物にされる社会か。それとも、市場が称えずお金では買えない道徳的・市民的善があることだろうか。