デジタルは文化を再生産する
デジタル化によって、情報がこれまで以上に大量生成され、容易に広く共有されるようになる。また、情報の再加工が可能となる。情報の所有者は自分の知らないところで、情報が再加工され流通することを恐れる。権利が侵害されることを恐れる。
権利処理については十分な議論が必要であるが、一次情報を再加工する「分解と再構築」という考えは、文化の発展に不可欠なものである。
そもそも文化の発展には、模倣を基本とするところが多い。先人の偉大な功績を模倣することから、新しい芸術が生まれることを繰り返し、芸術は発展してきた。
分解と再構築。これは今の、メディアのあり方の縮図である。ネット時代になり、コンテンツの編集権はユーザー側に移動した。コンテンツを細分化し、それを自分のため、もしくは自分から再配信するために編集する。デジタル化は、新しい技術を駆使してより新しい価値を生み出すものとなるだろう。
ソーシャルゲームの社会的意義
人は平等に時間を与えられている。この限られた時間を一つ一つの行動に対して配分して使っている。
人は娯楽にある一定時間をさくと考えられる。この娯楽に割かれる時間をネットとネット以外が奪い合う。ネット上に展開される娯楽サービスは、リアルでの娯楽に置き換えるか、それと組み合わされることによって利用時間を増やす。この範囲を超えない限り、すなわちソーシャルゲームによって、人が今までよりも娯楽に対して割く時間を増やさない限り、ソーシャルゲームそのものは、これまでの娯楽を置き換えるだけである。時間という資源に対するインパクトはない。
しかし、運営者がソーシャルゲームの中毒性を増し、その結果、人が娯楽に割く時間を増加させたならば、有限な資源である時間を他から奪うことになる。
ソーシャルゲームは、人が必要としている「娯楽」を提供しているのであり、社会に対して意義がある。しかし、時間という資源を他の活動から奪うようであれば、その対価を人に与えなければならない。娯楽、快楽以外に他の活動で得られていたはずの価値と、同等の価値が提供できるようでないといけない。ソーシャルゲームの社会的意義とはこういうことである。